以前「風説秘話」をご紹介してきたが完結していない。今回は八代番頭・河喜多三左衛門についての一項をご紹介する
三左衛門 後兎山
字不知
河喜多○三郎或人の許ニ行しに亭主掃除様して取紛レ様子ニ付直ニまたんとせしかハ 亭主云今日は延壽寺の上人見へ申筈也滞可被咄と云 然らハ迚居けりしに端して亭主最早追々見候半迚上下を着けり 河喜多大ニ心ニ不叶居内延壽寺来りたれハ亭主迎入次之間より手を突慇懃ニ挨拶す 河喜多少も不構居たり 主人気の毒ニ思ひあれは河喜多○三郎とて八代番頭ニて御座候と云 延壽寺聞て是ハ/\當時迄間違不得御意私様は世外之事ニ候得は御侍方ニ對し御番頭衆も御番方衆も同様ニ心得御無礼致候と云しかハ河喜多云様是は被入御念御挨拶ニて御座候 成程御世外之事故此方も御自分様も願人坊主も同様ニ存ると云たるとそ
言葉の使いようには随分と気をつけなければならない。
延壽寺の上人さまも願人坊主と一緒になってしまった。
ここに登場する三左衛門(兎山)とは、次のような人物である。
三左衛門・一英 六百五十石外二百石 宝暦五亥二月廿四日当役
宝暦五年二月(廿挺頭)~宝暦十三年三月 八代番頭
河喜多斗山 名は一英、三左衛門と称す。世禄六百五十石藩に仕へ八代番頭を勤む。
剛直の士なり。致仕後免山又は吐山と号す。寛政二年九月二十日没す。
ちなみに延壽寺とは川尻にあるお寺のことであろうか。(断定は出来ないが)
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