早速右之返書相贈、小野木・竹中取遣之紙面、中村甚左衛門より之書状をも差越候
草与助被差越尊書拝見忝奉存候、度々如申上如何様ニも仕丹後へ一同ニ罷上り、宮津へ四郎右衛門各相籠、久美へ松井入城候ハゝ、国堅固に相ふま
へ可申ニ付、種々様々ニ仕候へ共、かこ無之故打置申候、其段一昨日以飛脚申上其已後立本使者被下候、御返事ニも申上候、定而可相達候、然ハ北
浦より御船可被仰付旨忝次第幸之御事ニ候条、其分ニ可仕候へとも、諸城引払幽齋居城一ツニして堅固ニ相ふまへらる旨、中村甚左衛門方より去ル廿
五日書状到来候間、御披見之ため進上候、如此之時ハ両人帰国仕、何之気どくも無御座候、当城丈夫ニ相抱申候ヘハ、越中ため銘々外聞も能御さ候
間一図ニ覚悟いたし候、左様ニ御座候ヘハ御兵粮可申談候条、草与助府内内へ差越申候、先様子為可申入候、以使者申上候、玉薬ハ丈夫ニ御座候間
御心安可被思召候、委細申含候間、可得御意候、此旨宜可預御披露候、恐々謹言
八月二日 康之
立行
立本斎
猶々、追々被仰越候様子、越中へ之御懇志、面々身ニ余り忝奉存候、此中御心を被添次第東国江も申遣候、委曲草与助被罷帰刻可申上候、以上
覚
一、草与被指越尊書拝見、彼口上承届忝奉存候事
一、各一同ニ可罷登談合相極次第之事
一、南浦可罷上ニ極申様子之事
一、丹後へ働之様子母里太兵衛被申、其上小縫より竹伊豆へ書中見申候而、南浦ハ打置候事
一、北浦可廻候得共、加子無之ニ付打置申候事
一、越中守江書状跡書入披見候事
一、姫路より中村甚左衛門書状参候、此書中ニ候間当城丈夫ニ致覚悟有付可申候、夫ニ付御兵粮可申受、府内へ草与指越候事
一、玉薬ハ丈夫ニ有之候事、付人数之事
以上
尚々、爰元之様子聞召候而、無心元思召候由、乍去何事も無之候間、御心易可被思召候、委細ハ御宿より可被申入候、以上
御宿より便宜御座候間一書申入候、爰元様子御留守居より可申入候、此分ニ候ヘハ最早静り候かと存候、様子ハ懇ニ各より可被仰入候
一、御陳へ被差越候女子之所へも切々便ニて御座候
一、御陳之様子ハいまた聞不申候
一、但馬衆・丹波衆ハ丹後へ相働申候ニ付而、我等も在所江罷下候、御上り之刻万々可申入候、書状ニハ何事も出し不申候、恐々謹言
七月十九日 小縫 在判
竹伊豆様
人々御中
覚
一、爰元之様子弥一図ニ致覚悟、普請以下無油断申付候事
一、御兵粮之事
一、玉薬之事
一、当郡所務申付様之事
一、上方昨日迄之取沙汰之事
以上
私云、中村甚左衛門よりの書状扣ハいまた考出し不申候、小野木より竹中江之書状之事ハ竹中ハ在国にて最初より家康公へ心を寄、石田より
上洛候得と申越候得とも、病気とて上られす、遠方之儀小野木なとも兼て入魂に有之候処より、上方一味なるへしと心得、推而此状をも遣候な
るへし、しかれとも竹中ハ木付の城へも兼て心を被添候事故、小野木よりの書簡も為心得木付に差越被申候を、今度清正へ懸御目候と見へ申
候、此儀序を以有吉家に尋候得ハ、彼家の事伝へも右之通の由ニ候、捴而九州衆竹中氏を初味方らしき輩ハ外にも有之候へとも、或ハ大坂
の妻子を気遣ひ、又ハ日和を披見候歟、味方は加藤・黒田の両家はかりと心得、松井・有吉も其余の衆ヘハ別而心ゆるしなく一応の通交と相聞
へ申候、幽齋君・忠興君江の注進状其外の書状にても模様大抵相知候なり