津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■奥方への手紙

2016-08-07 08:04:00 | 徒然

 随分以前、わが本籍地城山下代をたずねた折、すぐ近くの高祖父・上田久兵衛が維新後居を構えていた半田にも足を延ばしてみた。
八月末か九月始めであったろうと思う。裏手に白川が流れていて土手には萩の花が風に揺れていた。
海にも近いこの場所は、満潮時でもあったのか流れが止まったような感じで、川面は黄金色に輝き暑さを忘れてこれを眺めたことを思い出す。
仲のよかった久兵衛夫婦も、肩を並べてこの景色を楽しんだことだろうと思ったことである。

九月末明治新政府の為に、罪におとしめられ斬首されたのは九月末のことである。
久兵衛は妻を想い、次に様な句を残している。

         秋風のたよりに聞けば古里の萩か花妻いまさかりなり

この時二人の長女、わが曾祖母は24歳、私の本籍地である城山下代の曽祖父に嫁いでいた。

久兵衛は沢山の書状や記録を残している。京都留守居役時代のものは東大史料編纂所教授の宮地正人氏により「幕末京都の政局と朝廷」という刊本となった。
この本の中にも紹介されているが、妻・およねに贈った手紙が残されている。
この時代の人物としては何とも大らかで、微笑ましく、こちらも思わずいやされる思いである。

             拙者ハ無病そくさいくれ/\
             御安心/\ 安岡近日ニ下り着
             申し候魔これハ時々よびこヽの
             はなしをを聞可被申候 此者の
             申事ニハまちがいなと無之候
             これハ酒をめつたにしいらぬ
             様ニいたし可被申かくへつ
             のミ不申候 茶もきらいニて
             とんとの拙者がたのミ切ニて
             かねて申候通の人物ニ付ずい分
             ほめ申され かねて久兵衛より
             そういうたの こういふたのと
             申てほめしがちそうにて候
             昨日拝領物いたしけしからぬ

             有かたがり なみだを流し申候
             これハ拙者も実ニ嬉敷 もらい
             なきしう様ニ御座候 身祝と
             申て酒肴共おくり申候 平左衛門
             つとめ申中ハ とんとすてられ
             居候処 拙者ニなり 世に出候と林も
             追々申候 末松久米蔵と申も安岡
             一同下り申候 是も参候て酒共のませ
             申さるへく候 是ハさき/\ずい分
             御用ニ立可申と存居候 今日は
             大雨にて大もり(漏り)かべなどもり
             くづし たヽミをはぎ おけ
             たらい(桶・盥)九所ニすけ おい/\
             すてヽハすけかへ/\まことに
             あはれなるやうす 夕方客も
             無之手紙数通認申候 以上
              (慶応元年)五月十日  久兵衛
             およね殿            

 

 

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