細川家の三卿・有吉家が家臣に与えた宛行状である。
署名にある武蔵守とは有吉立行のことであるが、ここでは立理と名乗っている。慶長六年七月七日、「岐阜・関原・木付の役ニ手ニ合候者」に対して「御饗応之席」が設けられた。その際立理は長岡姓を名乗ることを許されるとともに武蔵守を名乗った。「古の武蔵坊(弁慶)にもおとるまじ」と忠興公の言である。詳細は先に「長岡姓を賜る」に書いたのでご覧いただきたい。
この席には細川興秋や嫡男・興道らも同席している。武蔵守は慶長十二年十二月備後で客死した。50歳。
そしてこの宛行状には立理と並んで四郎右衛門の名前が見えるが、これが興道であろう。この時期には四郎右衛門を名乗っていたことが判る。
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