津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■購入しました

2016-08-30 11:59:29 | 熊本

 (一財)熊本城顕彰会が発行しているのが季刊誌「熊本城」、私も会員なのだが新参者である。だから古いものは持っていない。
それゆえ平成3年2月の復刻第1号から平成13年2月の41号までがまとめられているこの本が残部が少ないと聞いてあわてて購入した。
今回の地震による熊本城の被害は目を覆うばかりである。改めて熊本城の貴重な資料に触れたいという思いが募っている。
平成3年といえば四半世紀前のことであり、執筆者の先生方もすでに故人となられた方があり、懐かしい記事に触れて感慨新たなるものがある。
一冊3,500円(送料別) 

                    申し込み先 一般財団法人熊本城顕彰会
                          〒860-0004 熊本市中央区新町2丁目4-27
                                   (熊本市健康センター新町分室) 
                                  電話・FAX  096-352-2975

 

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■水戸徳川家と細川家

2016-08-30 07:11:13 | 歴史

我が家の先祖附には「同(貞享)二年丑六月廿八日水戸様御家来佐々助三郎、丸山雲平御国内被罷通候ニ付、御附被成薩摩境上之川迄罷越、七月十日罷帰候処、同十六日右両人日向より帰申候ニ付、又御附被成南郷岩神より筑後之内高瀬迄罷越八月十四日罷帰申候」とある。
「大日本史」編纂のため、主君・水戸光圀公の命を受けて熊本に入りいろいろ調査をしている。その折案内役を務めた。
他藩に於いては調査に協力的ではないところもあったというが、細川藩は大変協力的であった。

それは細川綱利夫人が水戸徳川家の出であることもあろう。実は光圀の実妹であるが、長兄の高松藩主松平頼重の養女となって細川家に入られた。

それ以降水戸徳川家と細川家の関係は深くなろうとしていた。
綱利の嫡男・与一郎に水戸徳川家の網條の養女萬姫(水戸家では益姫・綱條夫人の実妹)の婚約が調ったが、これは与一郎(十四歳)の死によって頓挫した。
これにより萬姫は綱利の二男・吉利との婚約がすすめられたが、不幸にも吉利も十八歳で死去した。
この益姫はその後光圀の弟・頼隆の孫・松平頼明に嫁いだ。そしてその五代の孫・頼説に細川治年の娘・寧姫が嫁いだ。

高松藩五代藩主頼恭は水戸光圀の弟・頼元の子、松平頼貞の五男である。その夫人は細川宣紀女・八代姫である。
又宇土支藩・細川興生夫人は、松平頼貞女であり、宣紀と興生は水戸松平氏を通じて義兄弟ということになる。

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