11月16日 22:41 · 岡山県立博物館 書付「後藤又兵衛討死之時」発見について報道発表。
後藤又兵衛は、大坂の陣で真田信繁(幸村)らとともに大坂方として活躍した武将で、この戦いで討ち死にしています。
今回発見された資料、書付「後藤又兵衛討死之時」は、又兵衛の首を討った脇差が、又兵衛が豊臣秀頼から拝領したものであったこと、又兵衛最後の様子を秀頼に報告したことなどが記されており、又兵衛のもとで戦った金万(こんま)平右衛門、もしくはその子孫が書き記したものと考えられ、平右衛門の子孫宅に残されていました。大坂方に参加した武将が書き残した記録としても大変貴重なものです。
この資料は、11月25日(金)から来年1月15日(日)まで、岡山県立博物館にて展示されます。

横35.0センチ、縦27.4センチ 介錯を務めた金万平右衛門の子孫宅(京都)所蔵
釈文
一、後藤又兵衛討死之時従
秀頼公拝領之脇指[行光]、是ニ而
又兵衛首ヲ討、 秀頼公御前ニ而
如此討死仕次第申上候へとて
長四郎と申児姓二脇指相渡
被申候、長四郎脇指請取候へとも
又兵衛印ヲあげ候義ハ不罷成
脇差斗 秀頼公江差上ケ申事、
一、脇ニ居申候小性、是ハ又兵衛指物之
くり半月之片おれヲ又兵衛
討死仕候証拠ニ 秀頼公江差上申候、
一、平右衛門義ハ右両人之者仕廻候後ニ
其場江参着申候事、 (埼玉・柏木様のご協力を得ました)
一、後藤又兵衛討死之時従
秀頼公拝領之脇指[行光]、是ニ而
又兵衛首ヲ討、 秀頼公御前ニ而
如此討死仕次第申上候へとて
長四郎と申児姓二脇指相渡
被申候、長四郎脇指請取候へとも
又兵衛印ヲあげ候義ハ不罷成
脇差斗 秀頼公江差上ケ申事、
一、脇ニ居申候小性、是ハ又兵衛指物之
くり半月之片おれヲ又兵衛
討死仕候証拠ニ 秀頼公江差上申候、
一、平右衛門義ハ右両人之者仕廻候後ニ
其場江参着申候事、 (埼玉・柏木様のご協力を得ました)
その内容
・後藤又兵衛が討ち死にした際、秀頼公から拝領した脇指行光(わきざしゆきみつ)で、又兵衛の首を討ったこと。
秀頼公の前で又兵衛の討ち死にの様子を報告した際、長四郎という小姓に脇指を渡しました。又兵衛の印を差し上げることはできなかったこと。
・脇にいた(別の)小姓に又兵衛の指物である「かえり半月」の片折れしたものを、又兵衛の討ち死にの証拠として秀頼公に差し上げなかったこと。
・平右衛門は長四郎たちに手渡したのが終わった後に(秀頼公の前に)到着したこと。
・脇にいた(別の)小姓に又兵衛の指物である「かえり半月」の片折れしたものを、又兵衛の討ち死にの証拠として秀頼公に差し上げなかったこと。
・平右衛門は長四郎たちに手渡したのが終わった後に(秀頼公の前に)到着したこと。
この金万平右衛門は備前国の国人で、大坂の陣において又兵衛のもとで戦った人物。戦後は稲葉正成に仕官し、その子孫は淀藩稲葉家の家老であったと伝わります。
岡山県立博物館、各メディア報道文を要約