先にヤフオクの■越後騒動の犠牲者「仙台小栗氏考」をご紹介した。
自ら応札しようと思っていたが、日本の古本屋をのぞいたら、こちらの方が安かったのでヤフオクはやめて日本の古本屋から購入してしまった。
越後騒動の小栗美作の弟・兵庫の七人の男子の内、上三人は仙台の伊達候にあずけられ、下の三人が細川家に預けられた。
これらの兄弟が解放されるについては、四十年という時間を要した。上記著書によると伊達候の元で二人、細川家に於いて二人が亡くなっている。
上記の本は仙台藩に仕えた、兵庫の三男・伊八郎家の現代に至るまでの事が記されている。
そんな中に、桓武天皇以来の小栗家の系図が記されていた。よくよく見るとこれは肥後・小栗家のものであった。
仙台・小栗家については別途系図が記されている。そして連綿として今日に至っているようである。
熊本藩に於ける小栗氏は四男・岡之助成純、六男・九十郎成常が四十年間の星霜を経て解放された。
共に細川家家臣となったが、成純の家系は途絶えており、成常の家系は明治に至った。
兄成純は藩主の命により京にのぼり実の姉に面会している。この人は仙台小栗氏の伊八郎のすぐ上の姉で京都浪人・井口五郎左衛門の妻であることが家系図から確認できた。
伊八郎は遠い仙台に在り果たしてその後とも、面会の機会があったのかどうかは不明である。
昭和40年に仙台で発刊されたこの著作に遭遇し手に入れることが出来て、またわが肥後細川藩侍帳を補強することが出来て、感慨一入といった処である。