津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■一つの情報

2016-11-26 06:31:50 | 史料

 平野新兵衛が家老・長岡(米田)監物に宛てた一通の覚書がヤフオクに出ていた。

    
        奥田太郎兵衛

 右太郎兵衛儀轉切支丹
 加賀山太郎兵衛玄孫奥田
 蒹舟忰ニ而御座候以上             蒹(けん=あし)

  天明六年
   十二月十九日 平野新兵衛 花押

長岡監物殿

ここでの収穫は(1)太郎兵衛成る人物の特定が出来た事、(2)番頭を勤めていた平野新兵衛の花押が判明したこと、そして(3)この書状の制作年が確かな事である。 

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 加賀山克巳  (南東18-23)
    1、加賀山太郎兵衛 
         【転切支丹】 寛永十三年七月十三日 禅宗に罷成り・・(勤談跡覧-肥後藩之切支丹)
            細川忠利公御書出(寛永十年九月)二百石

    2、    主馬
            三男村井家に入り、四代村井十郎左衛門友則
    3、    金左衛門之勝  十二番牧平左衛門組 二百石 (真源院様御代御侍名附)
                     二百石 (真源院様御代御侍免撫帳)
            細川光貞公御書出(寛永十八年八月)二百石
    4、奥田太郎兵衛賢親
    5、   十兵衛之清  二百石 佐敷詰御小姓組五番
    6、   太郎兵衛    御鉄炮十挺頭 二百石
    7、   金吾(十兵衛)
    8、加賀山関之助    御番方組脇
    9、    隼次(太郎兵衛・一朶)
    10、   克巳      二百石

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