毎日新聞WEBサイト(11月2日16時20分)に於いて「江戸初期に製造指示か 熊本大で古文書発見」という記事が出ている。
http://mainichi.jp/articles/20161102/k00/00e/040/264000c
小倉藩(北九州市など)の藩主だった細川忠利(ただとし)が江戸時代初期、ワインとみられるぶどう酒造りを家臣に命じた古文書が熊本大の永青(えいせい)文庫研究センター(熊本市)で見つかった。日本のワイン造りは明治初期に本格化したとされ、江戸初期の関連記録が確認されるのはまれ。小倉藩のぶどう酒が国産ワインの最古の記録との夢も膨らみ、10月に「ワイン特区」となった北九州などで話題になりそうだ。
研究センター所蔵で、藩主の命令を記録した文書「奉書」によると、旧暦の1628(寛永5)年8月28日、忠利が家臣の上田太郎右衛門にぶどう酒造りを命じた。忠利は同9月15日には、太郎右衛門から別の家臣にぶどう酒造りの技を教えるように命じている。太郎右衛門の領地があった仲津(なかつ)郡(福岡県行橋市など)で原料にしたとみられる野ブドウ「ガラミ」を採集した記録も確認された。
忠利が貿易拠点だった長崎や平戸に藩の出先機関を置き、「いかにも甘き」ワインを輸入するよう命じた直筆の手紙も見つかっており、研究センター長の稲葉継陽(つぐはる)教授(歴史学)は「忠利の並々ならぬ熱意を感じる。輸入ワインでは足りず、国産品を造ったと考えて不思議ではない」と話す。
日本ワイナリー協会(東京)と山梨県によると、日本のワイン造りを記録で確認できるのは、明治初期の1870年代に山梨の2人の青年が外国人の指導を受けて醸造に取り組んだのが最も古い。それ以前は不明という。
小倉藩があった北九州市は10月、政府から生産農家が新規参入しやすくなるワイン特区の認定を受け、市も地元産ワインのブランド化を目指している。ワイン造りを目指す同市若松区の農家、藤田佳三(けいぞう)さん(37)は2年後に自前の醸造所でボトル詰めする計画。小倉藩のぶどう酒造りへの「情熱」と重ね合わせて、「400年の時を超え、北九州をワインの産地にしたい」と意気込んでいる。
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このことは以前からよく知られている処であり、このサイトでもご紹介している。最初の記事は9年も前の事だ。なんだかな~