津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■すでに知られていましたよ・・「忠利ワイン」

2016-11-02 15:07:37 | 新聞

毎日新聞WEBサイト(11月2日16時20分)に於いて「江戸初期に製造指示か 熊本大で古文書発見」という記事が出ている。
      http://mainichi.jp/articles/20161102/k00/00e/040/264000c

 小倉藩(北九州市など)の藩主だった細川忠利(ただとし)が江戸時代初期、ワインとみられるぶどう酒造りを家臣に命じた古文書が熊本大の永青(えいせい)文庫研究センター(熊本市)で見つかった。日本のワイン造りは明治初期に本格化したとされ、江戸初期の関連記録が確認されるのはまれ。小倉藩のぶどう酒が国産ワインの最古の記録との夢も膨らみ、10月に「ワイン特区」となった北九州などで話題になりそうだ。
 研究センター所蔵で、藩主の命令を記録した文書「奉書」によると、旧暦の1628(寛永5)年8月28日、忠利が家臣の上田太郎右衛門にぶどう酒造りを命じた。忠利は同9月15日には、太郎右衛門から別の家臣にぶどう酒造りの技を教えるように命じている。太郎右衛門の領地があった仲津(なかつ)郡(福岡県行橋市など)で原料にしたとみられる野ブドウ「ガラミ」を採集した記録も確認された。
 忠利が貿易拠点だった長崎や平戸に藩の出先機関を置き、「いかにも甘き」ワインを輸入するよう命じた直筆の手紙も見つかっており、研究センター長の稲葉継陽(つぐはる)教授(歴史学)は「忠利の並々ならぬ熱意を感じる。輸入ワインでは足りず、国産品を造ったと考えて不思議ではない」と話す。
 日本ワイナリー協会(東京)と山梨県によると、日本のワイン造りを記録で確認できるのは、明治初期の1870年代に山梨の2人の青年が外国人の指導を受けて醸造に取り組んだのが最も古い。それ以前は不明という。
 小倉藩があった北九州市は10月、政府から生産農家が新規参入しやすくなるワイン特区の認定を受け、市も地元産ワインのブランド化を目指している。ワイン造りを目指す同市若松区の農家、藤田佳三(けいぞう)さん(37)は2年後に自前の醸造所でボトル詰めする計画。小倉藩のぶどう酒造りへの「情熱」と重ね合わせて、「400年の時を超え、北九州をワインの産地にしたい」と意気込んでいる。

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このことは以前からよく知られている処であり、このサイトでもご紹介している。最初の記事は9年も前の事だ。なんだかな~ 

    ■ 細川小倉藩版ボジョレー・ヌーヴォー  2007-11-08

     ■ 大分合同新聞から  2013-10-23

  

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■亥の子餅

2016-11-02 11:02:40 | 徒然

旧暦十月の亥の日には「玄猪の御祝」が行われ、亥の子餅を食べる習慣があった。今年は11月1日にあたる。歳序雑話には次のようにある。
十月以亥日曰玄豬為佳節、入夜有拝賀、賜餅於群臣、亥日有或二或三、有三則用中亥日、有二則用初亥日、為倭国古今之礼節、上自朝廷下至民家 
(十月の亥の日を以て玄豬といい佳節となす、夜に入りて拝賀あり、餅を群臣に賜う、亥の日が或いは二回或いは三回ある、三回有る時は中の亥の日を用い、二回有る時は初の亥の日を用いる、倭国古今の礼節となす、上は朝廷より下は民の家に至る)

細川家においても規式としての定めがあり「年中行事抜粋」(四十一)玄猪御禮之式にその詳細を見ることが出来る。

綿考輯録第一巻p57(出水叢書)にある史料によると、もともと各家で「玄猪の御祝」が行われていたことが伺えるが、特に細川藩では下に記すような由来を以て規式化されたことが判る。

(前略)有吉将監立言は京都御屋敷御長屋ニ居候に、御出陳玄猪の日にて、立言餅を祝ひ立出ける時、妻心付、殿にも御祝可然と申て急なる折節故、器物も不有合、山折敷の有けるに乗せ持出候へは、藤孝君はや御馬に召れ候所に、玄猪の餅御祝被成候へと云て差上けれは、御出馬の折節、玄猪は能心付也と被仰馬上にて御祝、目出度御帰陳可被成と仰候、即御勝利なりけれは、御帰陳の上にても猶御賞美被成候、後々まて山折敷にて玄猪の餅差上候事は、段々御領知も重なり、旁以御吉例に被思召候に付、向後無懈怠差上候へとの御意有之候故と (綿考輯録第一巻p57)

猪は多産であり子孫繁栄につながる為、武士にとっては大変大事な行事であった。
今日は牡丹餅でも買ってきましょうか。
ちなみに季語としての「亥の子」は「冬」として扱われている。

     夏目漱石に次の句がある。  到来の亥の子を見れば黄な粉なり  

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