手前の道が現在路面電車が通っている通町筋、路面電車は90度左折して進みますがまっすぐ進むと「厩(うまや)橋」から御城の西側(かっての国道3号線)です。
角がかって厩があった場所、この絵では「監獄」となっていますが現熊本市役所が建っていることになります。。
左手が番頭などを務めた有吉分家の屋敷跡、あとでは精養軒という料亭になりました。
その左手に斜めに伸びる道が現在の「下通り」、下通から上へ伸る道は現在では存在しません。
石垣が見える場所は細川邸「御花畑」の北の端、広場に見える処は追廻田畑の跡、白川がかってこの場所を大蛇行して現在の坪井川(右手)に流れ込んでいました。
この絵がいつ書かれたのか承知して居りませんが、有吉邸の前に熊本中学(西南の役後、明治12年千葉城から移転再建)が見えることから明治中期頃か・・・・・
いずれにしても、近代熊本の草創期の姿を捉えています。