津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■検証「新知の家・高禄者の世減の規矩」

2024-07-04 15:06:46 | 歴史

 先に取り上げた■慶安3年以降の新知の家(500石以上)の「世減の規矩」がどのように実行されたのかを、我がサイトの「侍帳」から、その実態をチェックしてみた。

     4000石  清水縫殿・・初代道是の娘が綱利生母・清光院で志水家は一門扱いとなり「世減の規矩」対象外か
     3200石  松井直記(誠之)・・三卿家老・松井家の分家(古城家)5代
               初代・祐之5000石 世減の規矩対象者・3代弘之4000石、4代賀之3600石 減知1800石
     3000石  坂崎忠左衛門・・10代賀三郎、比着座・番頭・小姓頭
               初代成政4000石、2代成定2000石、3代成方には兄が居り別禄400石のち4000石、6代に至り400石減知、7代で300石減知、
               8代でも300石減知で3000石、減知1000石

     2800石  溝口蔵人・・忠利夫人実弟が溝口家に入り初代(政登)2000石、5代蔵人200石減知・後加増200石となる。
     2700石  郡 夷則・・三淵藤英(幽齋兄)の曾孫・藤正が綱利代召し出し、嫡男・氏正が初代2000石、4代織衛が200石減知して1800石、
               5代夷則(眞勝)は家老職を勤め3000石に達している。

     2700石  有吉清九郎・・三卿家老有吉家の分家英貴流の6代目、初代直常は3000石、清九郎代に300石減知して2700石となる。
     2500石  朽木内匠・・幽齋兄・藤英三男で初代昭貞が2000石、3代昭長が3000石、該当の内匠は6代の昭直である。ここで減知されたものと思われる。
               尚8代昭久は松井主水(松井本家8代営之)であり、昭久は中老職にのぼり2700石となっている。

  以下についても引き続き検証してみたい・

     2200石  木村次郎左衛門
     1900石  岩間此面
     1900石  小笠原一学
     1200石  塩山惣右衛門
     1000石  清水新五左衛門
    900石  中瀬助之進
    800石  堀尾彦左衛門
    800石  神谷源助
    700石  磯村又之允
    700石  堀部源兵衛
    700石  小山万次   (蔵米)
    650石  松尾亀次   (寸志)
    650石  木村武左衛門 (寸志)
    600石  八木弥次郎
    550石  荒木恒次郎
    500石  奥田小左衛門
    500石  兼松直部
    500石  柏原次郎四郎
    500石  吉田仁郎右衛門
    500石  沢村八郎次
    500石  志水彦之助

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■宝暦の改革の大奉行、堀平太左衛門隠居

2024-07-04 06:28:49 | ご挨拶

      御直書   寛政四年七月四日
  (堀)平太左衛門儀、數十年來抜群の勤功無比類儀は、追々申聞候通に候、是迄四代の間、精勤令満足候、
   然處及老年候に付、願出の趣尤に存候、此上今暫も相勤候儀存候へ共、願の趣も無餘儀事に相聞候に付、
   乍残念直に隠居申付候、然上は多年致心労候間、随分可保養、随意に緩々休息候様、随て此品、此小脇
   差大原宗永隠居指に可致相應哉と存付候間遣候、尚病快相成候はゞ、追々咄等に出候様存候なり

 この時期、藩主は細川齊茲である。寛政五年四月廿三日に死去した。享年77。墓所は花岡墓地の最上段部にある。

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