先に取り上げた■慶安3年以降の新知の家(500石以上)の「世減の規矩」がどのように実行されたのかを、我がサイトの「侍帳」から、その実態をチェックしてみた。
4000石 清水縫殿・・初代道是の娘が綱利生母・清光院で志水家は一門扱いとなり「世減の規矩」対象外か
3200石 松井直記(誠之)・・三卿家老・松井家の分家(古城家)5代
初代・祐之5000石 世減の規矩対象者・3代弘之4000石、4代賀之3600石 減知1800石
3000石 坂崎忠左衛門・・10代賀三郎、比着座・番頭・小姓頭
初代成政4000石、2代成定2000石、3代成方には兄が居り別禄400石のち4000石、6代に至り400石減知、7代で300石減知、
8代でも300石減知で3000石、減知1000石
2800石 溝口蔵人・・忠利夫人実弟が溝口家に入り初代(政登)2000石、5代蔵人200石減知・後加増200石となる。
2700石 郡 夷則・・三淵藤英(幽齋兄)の曾孫・藤正が綱利代召し出し、嫡男・氏正が初代2000石、4代織衛が200石減知して1800石、
5代夷則(眞勝)は家老職を勤め3000石に達している。
2700石 有吉清九郎・・三卿家老有吉家の分家英貴流の6代目、初代直常は3000石、清九郎代に300石減知して2700石となる。
2500石 朽木内匠・・幽齋兄・藤英三男で初代昭貞が2000石、3代昭長が3000石、該当の内匠は6代の昭直である。ここで減知されたものと思われる。
尚8代昭久は松井主水(松井本家8代営之)であり、昭久は中老職にのぼり2700石となっている。
以下についても引き続き検証してみたい・
2200石 木村次郎左衛門
1900石 岩間此面
1900石 小笠原一学
1200石 塩山惣右衛門
1000石 清水新五左衛門
900石 中瀬助之進
800石 堀尾彦左衛門
800石 神谷源助
700石 磯村又之允
700石 堀部源兵衛
700石 小山万次 (蔵米)
650石 松尾亀次 (寸志)
650石 木村武左衛門 (寸志)
600石 八木弥次郎
550石 荒木恒次郎
500石 奥田小左衛門
500石 兼松直部
500石 柏原次郎四郎
500石 吉田仁郎右衛門
500石 沢村八郎次
500石 志水彦之助