この文書は三渕嘉門(9代・松井営之四男・澄昭)が松井帯刀(営之嫡男)に当てたものである。
尚、ここに登場する朽木内匠は松井営之の末子である。
又定彦は朽木家7代・昭恒(雄山)の養子となった昭信(宇土細川家立禮(細川齊茲)の末弟)の子である。
昭信は病身で朽木家を継ぐことなく宇土家へ帰っている。故に8代を松井営之末子内匠が継承し、甥にあたる
定彦を順養子にしようとしているが難儀している。
四月五日之夕紫英私方被罷越申聞候趣ハ
定彦事内匠順養子ニ被致度由内匠ゟ
以口上書紫英江被申向候 右之儀ハ當春
二月之比雄山ゟも紫英承り候由其
趣意は雄山深ク思惟仕候処先祖大和守
血筋と申候は乍女系守居計ニ付願クハ
定彦事内匠順養子ニ被致候様有御座度
存候間内匠江去年十二月雄山ゟ以書付
申向宜候段申聞候 然共紫英も一通ニ
相心得候其上雄山とも段々咄合宜候筋合も
有之候ニ今に成右之通変替りニ相成候
事紫英存候は雄山儀最早老年
万端志■ニ而之事と相心得等閑(なおざり)ニ
當居候処近比内匠ゟ不計致書付俄ニ
順養子之儀申聞候間甚行當申候 併内匠も
厳養父挨拶ニは是非一通ハ手数事故
左も可有御座然レ共紫英ゟ委細之以訳
断申候ハゝ相謹可申候と存候 前内匠ゟ猶又
以書付存念委細申向候間従是も又
書付を以相断候得共一向承引無御座
既ニ今晩ハ頼藤栄を招キ委細申含
尊兄様江も申上近日ニ願書差上申候
との事ニ而紫英大ニ驚申候其訳は