細川綱利書状 1幅 肥後熊本藩主 寛文元年 大名 九州 花押 書簡 江戸時代 肉筆 古文書
肥後國於玉名郡貮百石
目録有別紙事如先規所宛
行之也全可領地之状如件
寛文元年八月五日 綱利・花押
伴安兵衛殿
何の変哲もない宛行状だが、「伴」氏とあって興味を引いた。
祖母の実家・狩野家からこの伴家に養子に入った儀兵衛という人物がいる。当該宛行状の人物は初代、儀兵衛は5代目(多次郎)である。
儀兵衛は「安永四年七月四日 伴儀兵衛手討仕損シ差扣」という事件を起こした。雇っていた者を手討にしたが、長年足を痛めており「間合遠ク手疵を負せ申候 」という結果になった。
その結果は「差扣」とあるが、200石の大切な知行を召し上げられた。
無事手討を果たして居れば何事も無かったろうと思われる事件である。討果せなかったことは有るまじきことという事だろうが、200石取りの家が5人扶持の家となり明治に至った。侍の世界とはこのような世界である。