熊本史談会でお話しする資料を作成する中で、オークションを主として買い集めた史料がたくさん出てきて、終活対象物件だなと思ったことだ。
主に熊本地震後流出が顕著だった「米田家資料(私の命名)」が随分ある。投資した金額も結構な額になっている。
しかしあまり自分で死蔵させてしまうような思いは全くなくて、しかるべきところに引き取っていただければ寄贈したいと思っている。
そろそろ、リストを作り写真などを添付して準備に入りたいと思い始めた。
まずは、朽木定彦氏(細川齊茲公末弟が朽木家養子、その嫡子)の朽木家類続間での「順養子問題」のガチャガチャ振りを記した資料(結果として定彦氏はこれを嫌い、刑部家の養子となった)とが、5,000両の借金の家臣21名連署の安永五年の申込書など、宇土細川家関連の文書がある。
まずはこれらを手始めに、先様にご連絡をして御届をしたいと思っているが、どこに収めるのが一番かを考えるのに頭を悩ましている。
■宇土細川家・借銀に関する書状 一点
■米田家御屋敷図 605×475 一点、372×282に132×62貼付け ニ点
■指物(図) -沢村宮門 一点
■甲立物幕之紋定紋附 -沢村宮門 弘化三年十二月 一点
■指物附 -鎌田軍助 天明六年閏十月 一点
■甲立物幕之紋定紋附 ー續 繁弥 天保二年十月 一点
■指物附 -續 繁弥 同上 一点
■甲立物幕之紋附 -牧 佐学 天明四年閏正月 一点
■分明印 -長谷川新右衛門 安永六年四月 一点
■甲立物幕之紋定紋附 -藤崎喜八郎 文政七年八月 一点
■兜立物指物幕紋定紋差出 -宇野忠左衛門 安永二年正月 一点
■甲向立物幕之紋圖 -稲津角之允 文久元年八月 一点
■差出 -竹原権助 寛政十年十一月 一点
■覚(切支丹宗門改に関するもの)-津田平助 嘉永四年亥三月 一点
■覚 同上 -宮村益太 文化丁夘年五月 一点
■切支丹就御改仕上起請文前書 -松野又右衛門(宗岳寺裏書)文久四年四月 一点
■米田是福自筆書状 (宝暦六年比之御筆と奉考之) 一点 (妙應院様御直書之内御国之歴々・・)
■米田是長自筆書状 宛名・左近殿 一点
■監物縁組之節願之儀・・・ 一点
■御自筆写 両方ゟ願として罷越候節御用番様御手数之続 一点
■有吉立行・興道・英貴・英安・貞之に関する手控え? 一点
■寛永年中御鷹場御拝領以来之趣下志らへ 冊子 一点
■覚 (寛永十七年・三家に鷹場お分け・・・) 控 一点
■職五郎様江御祝儀 一点
■八代朽木家取扱之扣写 冊子 一点
■朽木定彦順養子に関わる書状 ー朽木内匠 一点
■ 同上 -長岡監物 一点
■ 同上 - 定彦 一点
■ 同上 -署名無し・定彦か 一点
■天明四年・御供立被減候覚 冊子 一点
■地獄極楽御倹約仰出事 一点
■覚 天保十一年 一点 (監物家来中井・・・)
■覚 長岡監物宛楯岡源左衛門 天明七年八月 一点 (薮田斉の御奉公について)
■「二丸江御一門衆御家老衆表玄関ゟ 云々」 一点
■書状 長岡左近様あて 細川左京(尚房) 一点
■口上書 ー山田淳助 寛文九年十月 一点 (志水才助儀立田之内山口・・・)
■御改正以来大御目附衆人数 一点
■御達 御右筆所之儀 一点
■湯治心得 明治五年二月 熊本縣医學校 一点
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