前回、こういうところで終わりました。
ーーー教会で「愛、愛・・・」と言っている愛は、無償の愛である。これを心に抱き、実践することを理想として言っている。イエスに似る努力を重ね、それを行おう!とやっている。ところが、それがそう簡単ではないーーーというところで。
今回はそれを考えましょう。
<意識の本体は霊:潜在意識、顕在意識>
まず、大切なのは、聖書では「人の意識は、基本的に霊の発する信号」という思想、であることです。聖書では霊は意識の本体なのです。意識は霊から出てくる。発信される。だから、霊の状態が、意識のあり方を基本的に決めるのです。
潜在意識、顕在意識ということがよくいわれますね。
顕在意識 は人の意識の中でその人の知性が「自覚することのできる意識」です。“ああ、俺は今、奴を憎んでいるな”、というような自覚ができる意識。
潜在意識 は、知性では自覚できない意識です。意識のそこでは憎んでいても、「憎しみの意識がある」と自覚できない。つまり、潜在しています。
霊の意識の大半は、この後者の潜在意識になっているのです。そして、そこから意識の大半は出てきます。だから、霊の状態が変わらないと、人の意識は表面的にしか変えられないのです。
<「世の霊」と「天の霊」>
「意識は霊のあり方で決まる」というこのことが、前述した愛のあり方も決めることになっています。
「独占したい、相手の主体を思うように支配したい」、という思いをも含める愛、つまりこの地上の人間に自然に生じる愛は、人の意識にある「世の霊」の産物と言うことになります。
では、そういう欲望が裏にない愛、グレースの愛は、どうか。これは「天の王国」にある愛でしたね。すると、それはこの「世の霊」ではない、「天の霊」から生じることになります。
<聖霊が働くときのみに>
この天の霊を「聖霊」といいます。それは万物の創造主(ゴッド)から「出た」創主の霊です。イエスがそういう愛を注げたのは、自らの内に聖霊があったからーーーこういう道理になります。
そこから、人間にもこういう希望が出てきます。つまり、人の内にも創主の霊である聖霊が入れば、グレースの愛が生じる可能性が出る。 無償の愛 、「くさくない愛」といったらいいかな、そういう愛が出うる。
教会で「愛、愛」といって期待し求めている愛ですね。
ところが、それはそう簡単にはでません。聖霊が人の内に入って働くというのには、一定のプロセスが必要なのです。次回はそれを考えましょう。
ーーー教会で「愛、愛・・・」と言っている愛は、無償の愛である。これを心に抱き、実践することを理想として言っている。イエスに似る努力を重ね、それを行おう!とやっている。ところが、それがそう簡単ではないーーーというところで。
今回はそれを考えましょう。
<意識の本体は霊:潜在意識、顕在意識>
まず、大切なのは、聖書では「人の意識は、基本的に霊の発する信号」という思想、であることです。聖書では霊は意識の本体なのです。意識は霊から出てくる。発信される。だから、霊の状態が、意識のあり方を基本的に決めるのです。
潜在意識、顕在意識ということがよくいわれますね。
顕在意識 は人の意識の中でその人の知性が「自覚することのできる意識」です。“ああ、俺は今、奴を憎んでいるな”、というような自覚ができる意識。
潜在意識 は、知性では自覚できない意識です。意識のそこでは憎んでいても、「憎しみの意識がある」と自覚できない。つまり、潜在しています。
霊の意識の大半は、この後者の潜在意識になっているのです。そして、そこから意識の大半は出てきます。だから、霊の状態が変わらないと、人の意識は表面的にしか変えられないのです。
<「世の霊」と「天の霊」>
「意識は霊のあり方で決まる」というこのことが、前述した愛のあり方も決めることになっています。
「独占したい、相手の主体を思うように支配したい」、という思いをも含める愛、つまりこの地上の人間に自然に生じる愛は、人の意識にある「世の霊」の産物と言うことになります。
では、そういう欲望が裏にない愛、グレースの愛は、どうか。これは「天の王国」にある愛でしたね。すると、それはこの「世の霊」ではない、「天の霊」から生じることになります。
<聖霊が働くときのみに>
この天の霊を「聖霊」といいます。それは万物の創造主(ゴッド)から「出た」創主の霊です。イエスがそういう愛を注げたのは、自らの内に聖霊があったからーーーこういう道理になります。
そこから、人間にもこういう希望が出てきます。つまり、人の内にも創主の霊である聖霊が入れば、グレースの愛が生じる可能性が出る。 無償の愛 、「くさくない愛」といったらいいかな、そういう愛が出うる。
教会で「愛、愛」といって期待し求めている愛ですね。
ところが、それはそう簡単にはでません。聖霊が人の内に入って働くというのには、一定のプロセスが必要なのです。次回はそれを考えましょう。