今日は4章の最後です。
役人の息子を、別の村でもって言葉を発するだけで癒したこの奇跡について、ヨハネはこう記しています。
「これはイエスがエルサレムのあるユダ地域からガリラヤ地域に戻ってなされた2番目のしるし(奇跡)だ」、と。
一番目が何だったかは記していない。
だったら、言わなければいいのに?
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そんなことありませんよ。これによって、我々読者は、ヨハネがイエスにぴったり付き添っていて、自らの目で見たことを記録していることを知ることが出来るのです。これが他の3つの福音書とは違うところです。
前述のように、他の福音書は、取材して書かれています。聞き込んでいって、たくさんの人が、私も見た、私も見た、と証言したことが沢山書かれています。それらは共観福音書と言われています。多くの人が「共に観た」ことを書いた、という意味でしょう。
こういう記録書は、客観的ではありますが、相応の限界も持っています。人の証言によるものには、大枠では正しいのですが、細部においては不確実なところがつきまとうのです。
この点ヨハネはそうではありません。彼の福音書は直接の目撃者自身が書いた記録です。そこにはそういう著者の目線が感じ取れます。
ですから、福音書によって、同じ場面で違う記述があるところでは、我々はヨハネ伝の記述を参考にすればいいです。これが最終的に正確なものだとして、それを踏まえて解読を進めることが出来ます。
このことは、聖書の論理を追うものにとって、本当に有り難いことです。
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けれども、注意すべきこともあります。ヨハネ伝には、著者の視点を見せないようにして書かれているところもあります。
この4章の前半に記された「サマリアの女」の話もそうだとみられます。
ヨハネは、イエスが彼女に会ったとき、「弟子たちは、食べ物を買いに町に行っていた」(8節)とわざわざ書いています。だったら彼は、イエスとこの女との会話を、どうしてあんなに克明に書けたのでしょうね。そういうことになりませんか。
でも、書いている。彼はイエスと一緒に井戸のそばにいたからでしょう。彼だけでなく、ペテロとヤコブあたりは最低限イエスをぴったりガードしていたのではないでしょうか。
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ペテロはボディーガードだったかも知れません。が、ともかくヨハネはイエスが最もお気に入りの、いまでいう社長の鞄持ちでした。
だから、「弟子たちは町に行っていた」と言うときの弟子たちには、彼は入っていないのでしょうね。ここは、「全ての弟子たち」と書いていないところがミソですね。
「誰々をのぞいて・・・」と書けばいいのに・・・。しかし、彼はそう書かないですね。むしろ、自分を隠して書いている。その結果、イエスが一人だったかのようになっています。
これに引っかかって、この場面を解釈をしている例を春平太は沢山みてきました。映画でも、ここをイエスと女の二人だけの場面として描いていたものを見た記憶が、春平太にはあります。
それでしたら、ヨハネは、この場面を書くとき、サマリアを再訪して取材したことになるでしょう。だが、そんな時まで、このサマリアの女はいたでしょうかね。5回も結婚していたのですから、イエスと会ったときには、すでにかなりの年齢になっていたと推定されます。他方、ヨハネ伝は、著者がず~と年老いてから書かれているのです。
ヨハネは、イエスと女との会話を、一部始終見ていた。聞いていた。それを思い出して書いているのでしょう。
ーーー以上で4章を終わります。