鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.70『創造主を“イエスの言葉によって知る”がポイント』(5章)

2005年03月06日 | ヨハネ伝解読


 ヨハネ伝解読、5章です。

 「最後の」裁きは、以後の永遠の状態を決めてしまう裁きです。いってみれば「これっきり」の裁きです。

 となれば、これは人間にとって、最大の問題になるでしょう。これに比べたら、いずれ終わる問題は、理屈の上ではつまるとことは無に等しいのです。そして聖書は究極的にはこの、永遠に続くことに関する教えを述べたものなのです。

<裁きの方式は?>

 では、この裁きがなされる方式はどうか? イエスはまず

 「私の言葉を聞いて、私をつかわされた方(創造主)を信じるものには、永遠のいのちが与えられる」(24節)

 と宣言します。ここは若干、言葉を補充することが必要でしょう。

 イエスの言葉には、~~自分が創造主の子であり、この世に人の姿をとって現れた「人の子」である、~~という教えが含まれています。

 また、その自分の言葉は、「父の話されるのを聞いて、そのまま語っているものだ」とも教えています(19節)。それを、「人の子」としてこの世に来た彼は、啓示としてではなく人間の言葉でもって、明確に伝えているというわけです。

 これを信じるということはどういうことでしょうか。
それは「イエスの言葉によって、創造主とはどういう方であるかをはじめて明確に知ることが出来る」というのを信じることです。

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 これは、聖書の最重要ポイントの一つです。
 それ以外でもって知る創造主のイメージは、いってみればスクリーンの反対側から影絵で見たような、漠然としたイメージでしかない。

 だから、それまで、ユダヤ人たちは、ユダヤ教の高僧をはじめとして、みんな実体からかけ離れたイメージを抱くようになってきたのだ。

 正しいイメージは、預言者たちの口から伝えられたけれども、それが「影絵」であったが故に、時と共に実像と乖離した理解がなされていった~~これがイエスの教えの神髄です。

 だから彼は後に「私が真理である」というのです(ヨハネによる福音書、14章6節)

 あとは次回にします。
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