鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.23 『ナサニエルは軽薄ものか?(1)(1章)』

2004年12月08日 | ヨハネ伝解読
 前回のナサニエルをめぐるヨハネの記録には、読者を「?」と思わせるところがあります。ピリポたちが誘いに来たとき彼は最初、「ナザレから良いものは出ないよ」と同行を断っていますよね。彼はこの言葉を、どういう意味で言っているのでしょうか?

 これについては、二つの解釈が成り立つと思われます。一つは、ナザレは貧しい下層庶民の村だったからだ、というものです。今日流に言えば、山の手でなく下町ですね。東京なら江東区といったところかと言ったら、差別だと江東区民に怒られるかもしれませんけど。

 ともあれ、「あーんな貧しい下層の村から、いいものが出るかいナ・・・」という意味だ、というのが、解釈の一つです。

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 もう一つは、ナサニエルは過去の預言者の預言に照らして、「ナザレからそういう存在が出るはずがない」と言った~~という解読です。この解釈の利点は、これでいきますと前の文と筋はつながることです。

 つまり、ピリポたちの誘いの言葉を、ヨハネは

 「モーセが律法書に書き、予言者たちが記していた人に我々は出会ったんだよ」
  ~~と記録しています。これと話がつながるわけです。

 では、それなら、ナサニエルが発言の根拠とした預言はどれでしょうか。これは複数考えられます。けれども、代表は「ミカ書」という旧約聖書の預言書の次の聖句ではないでしょうか。

 「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだ。だが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になるものがでる。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである」(ミカ書、6章2節)

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 ここで、ベツレヘム・エフラテは、聖都エルサレムの西南方向8キロほどの所にある地です。地図では、エルサレムのすぐ左下に当たります。

 この当時、寒村でしたが、かつてダビデが生まれた町として知られ、別名「ダビデの町」とも呼ばれています。そして、救い主はダビデの子孫から出るという預言もあるのです。

 「その日わたしは、ダビデに一つの正しい若枝を起こす・・・」(エレミヤ書、23章5節)。

   ~~がそれです。

 また、上記で「支配者」とは「メシア、すなわち、救い主」を意味しています。救い主は、リーダッシップをもって良き支配をし、民を導くのです。

 「聖書に預言された救い主は、ダビデの町、ベツレヘムから出るとも預言されている。ナザレの大工の子だって? ナザレからそういう存在が出るはずがないではないか」

   ~~こうナサニエルは言ったのだ、という解読、これが第二です。

正解はどちらでしょうね。
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