麻薬密売人上がりのハッチ牧師の話の続きです。
彼は、人間が生きていて犯していく罪と、これを代償するイエスの血の力を探求した。それは前回話しましたね。
旧約聖書では、至聖所に入ることのできた祭司は、そこで、人民の罪を贖うためとして、子羊の血を振りかけました。聖書には7回血を振りかけるべし、という命令が書かれていました。祭司は、それに従って、カーテンなど7カ所に子羊の血を振りかけました。
旧約聖書に書かれていることは新約聖書に書かれていることの影のようなものである。あるいは、新約で明らかにされる本物を、先んじてたとえでもって示しているものである。
そうすれば、旧約で、子羊の血を七回振りかけよという創造主の命令は、イエスが流した血とも対応しているのではないか。そう考えたハッチさんは、イエスが血を流す場面を改めて調べてみました。
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彼の聖書再検討の結果は、7度でした。
具体的には、次のごとくです。
①ゲッセマネ園で祈りをした時、イエスの皮膚から、血の汗が流れた。
②棘の冠を押しつけられたとき、イエスの額から血が流れた。
③むち打たれたとき、イエスの背中から血が流れた。
④手に釘を打ちこまれたときイエスの、手から血が流れた。
⑤足に釘を打ち込まれたとき、イエスの足から血が流れた。
⑥ローマ兵士がイエスの脇腹に槍を刺し通したとき、イエスの脇腹から血が流れた。
⑦様々に打たれることによって、イエスの皮膚の下では内出血した。
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~~⑦については、若干の説明をいたします。
イエスがユダヤ教の司教たちやローマ兵士に捕らえられてから、死んで墓に葬られるまでに受けた拷問を史実を調べて、正確に再現しようとしたのがメル・ギブソン監督です。
彼は、従来のイエス映画が、その点で、正確でないと感じて、「パッション」という映画を作りました。日本でも最近上映されましたね。
この映画では、イエスのまぶたが殴られて腫れ上がっていましたね。片方の眼がふさがれて見えにくいほど紫に腫れ上がっていました。たとえば、このまぶたの内側は、内出血しているわけです。外に血は流れ出していませんけれど、皮膚の内側では出血しています。
ハッチさんは、これも出血であると数えました。すると、ちょうど7回になりました。
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彼は、これで合点した。そうだ、イエスが拷問を受けて流した血は、旧約聖書の時代に、祭司が至聖所で振りかける子羊の血に対応しているのだ~~と。
祭司は、毎年毎年、民が犯した罪を子羊の血で贖いました。毎年毎年ということは、こういうことです。すなわち、ある年に贖っても、人は又次の年に罪を犯します。その罪は、また新たに子羊を屠って流した血を振りかけることでもって、代償されねばならなかった。
究極の生け贄であるイエスの血は、毎年流す必要はありません。だが、人は、ある罪をエスの血で贖われても、又罪を犯します。その罪も又、イエスの血で贖われなければ(代償されなければ)ならないのだ。我々は、毎日、イエスの血を必要としている。しかし、その血を想起し宣言すれば、各々の罪は代償されるのだ、と。
ハッチさんは、ますます、イエスの血の力に関する確信を、深めていきました。
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