鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

奇跡は「哲学」を誘発する

2022年06月07日 | 永続確信のための聖書解読

 

  エルサレム神殿の広場で、イエスは旧約聖書には一度も出てこない「天国」を語り始めた。 

  「悔い改めよ。天国は近づいた」と口火を切った。 

  

+++ 

 

 ちなみにこの「悔い改める」は英語では「リペント(repent)」だが、いい邦訳語がない。 

 その本意は「正しい方向に改める」という、未来志向というか「前向き」ニュアンスだ。 

 

 だが日本人は「改める」というと「後悔する」という後ろ向きの心情を持ってしまう。 

  名詞のrepentanceも「後悔、悔悛」などと邦訳されていて、事態は同じだ。 

 

 ホントは「正しい方向に」という修飾語をつけたいところだが、それでは用語が長くなってしまう。 

  そこで、他にないから、と言うことで、日本では「悔い改める」がキリスト教の専門用語になっている。 

 

 外部者は、何度聞いてもよくわからないだろう。

 

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 話を戻す。 

 

  ナザレの寒村からやってきた一青年が,突然「天国はこうだよ」と述べても、人びとは一笑に付すだろう。 

「田舎の若造が何をほざくか・・・」 

 

だがイエスは説教の前に、奇跡をやって見せた。 

  

<驚愕は哲学のはじまり> 

  

 スコットランドの歴史家、カーライル(Thomas Carlyle, 1795-1881)に「驚愕は哲学の初まり」という名言がある。  

  

 この「驚愕」は五感に強いインパクト(衝撃)を受けることによってできる「驚きの感情」を意味している。  

 

「哲学」は「見えない世界への思索活動」を意味している。  

  

 つまり、人は五感で驚くべきことを認識すると、見えない世界への思索を誘発される、というのだ。  

  

+++  

  

 イエスが行った奇跡は、この「驚愕」心理形成の役割を果たした。 

 

   彼はある時は、脚萎えの男を歩かせ、

 別の日には、耳の聞こえない人を、即座に聞こえるようにし、

 またある日には、盲人の目を開いた。 

  

(続きます) 

 

 


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