邦訳作業後の気分転換に、もう少し随想的なことを記させてください。
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「自価(じか)感覚」とでも言うべき言葉によって、従来見えなかった人間問題がかなり見えるようになるなぁ。
~かねがね鹿嶋はそう感じ、ものを書きもしてきました。
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自価感覚とは、「自分は存在価値あるという感覚」です。
人は通常、この感覚を漠然と感性に抱いて生きています。
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(ちなみに、この概念を友人に話したら、「“自価”の“価”って何だ? ああ、価格の価か。
わかりにくいなあ。 英語で言うとセルフバリューだな。これならわかりやすい」
~というコメントをくれました。
友とはありがたいものです。
以後、自価感覚、自価意識についての話には、このセルフバリューを挿入するように、修正することにしました。
正確にはセルフバリュー感覚、となるかもしれませんが、感覚なんて語はなくても意味は通じる。
そして、簡素であることは、わかりやすさの鍵でもありますので、セルフバリューとも表現することにしました)
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実はこのセルフバリューは、生きるために決定的に重要な感覚です。
人間これがなくなったら三日と生きられなくなる、といってもいい。
人は食物が無くても、水と自価感覚があれば40日くらいは生きられます。
食物があれば、何十年も生きます。
だが、その間でもあるとき、セルフバリュー感覚がなくなると、突然短期間で死にます。
自価感覚は、まさに、生きるための「最後の砦」なのです。
<人の意識はエネルギーをもつ実体>
量子物理学は、人の意識が波動(エネルギー)であることを示しました。
その波動は人の意識に影響を与えますが、自分の精神にも働きかけます。
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「自分は存在価値がない」という思い、感覚は、ブーメランのように自分の精神にも影響を及ぼします。
すると、自分の精神はその影響を受けて、セルフバリューをなくしていきます。
存続する価値を相殺されると、生きようという意志を根底で相殺されす。
こうして、生きる意欲をなくしていくのです。
その結果、気分は爽快さを失い、もの凄く重い鬱状態になります。
その苦しさに耐えらるのは、せいぜい三日くらいではないでしょうか。
だから人は、セルフバリューが希薄化すると死ぬのです。
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<セルフバリューの供給源は他者の「求め」>
セルフバリュー感の、この世での代表的な供給源は「他者からの”あなたは必要な人”という求め」です。
その代表の一つが、会社からの「働きの要求」です。
定年退職は、それがなくなることでもあります。
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人は年をとると、職場から引退します。
これは、従来職場社会から「自分に求められていたもの」を消滅させます。
するとセルフバリューは、突如急減します。
だから、定年直後に、程度の差こそあれ、人は呆けます。
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さらに、家庭で年金生活をしていて、身体や知能が老化したらどうか。
家族がその人に「求めてくれるもの」がさらになくなります。
この時期、引退亭主がとつぜん大学時代の角帽かぶった若き自分の写真を周囲に配り始めたという事例もあります。
妻は妻で、自分が有名人の知人であることを、やはり、周囲に突然吹聴し始める、という事例もあります。
これもまたセルフバリュー低下への抵抗であります。
老後も食べら続けられるようになった社会での老人問題の核は、このようにセルフバリューの低下という、精神的な事柄にあることが多いです。
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この話は、また続けましょう。
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