前回創造神イメージは心中に自然発生しない、といいました。
ならば、創造神の理念は、どうやって人の心に存在するようになるでしょうか?
内に発生しないなら、残るは「外から刺激をあたえらて」しかありません。
<外から言葉で与えられて>
そんなこと実際にあるのか?
通常にはありません。
だが、人類の歴史の中でそれが起きました。
外からの刺激を与えたのは、言葉です。
まず言葉でそのありようが説明された。
それによって、はじめて心にその神イメージができるという事態がおきました。
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その様子は、聖書という書物に記されています。
聖書は旧約聖書と新約聖書との2分冊でなっています。前半に旧約聖書があって、そのあとに新約聖書がくっついています。
この書物の成り立ちと構造については、追って述べます。
まずはそのなかの言葉(聖句といいます)によって、創造神イメージが人の心に導入される様子をみてみましょう。
聖書の、冒頭の書物は、旧約聖書のなかの『創世記』です。
その書物の冒頭に、「始めに、神が天と地を創造した」とあります。
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「初めに、神(創造神)が天と地を創造した。
地には形がなく、何もなかった。
やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた」
(創世記、1章1~2節)
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普通に暮らしている人間にとって、天は上方にある全空間です。
地は下方にある全地です。
つまりわれわれの日常感覚では「天と地」は全存在世界です。
この「全存在を創造した神がいる」とこの冒頭の聖句は言っています。
「ええっ、そんなかみがいるの!」という気持ちになりますよね。あるいは「ふ~ん」といいながら実在感を持てない人も多いでしょう。
だけど、上記「始めに、神が天と地を・・・」の神は、万物の創造神」なのです。
こうやって「創造神」の神イメージは、人の心に導入されている。
英語ではゴッドです。
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「全存在」をちょっと詩的に洒落て言ったのが「万物」です。
聖書では。まずまっ先に「万物の創造神」の神イメージが与えられ、続いて、この創造神が万物を次々に創っていく光景が描かれています。
こういう「言葉によってはじめて」人は創造神という神イメージを持てるようになるのです。
(続きます)
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