Sightsong

自縄自縛日記

高嶺剛『夢幻琉球・つるヘンリー』 けだるいクロスボーダー

2009-07-02 00:13:12 | 沖縄

高嶺剛が『ウンタマギルー』(1989年)の9年後に完成させた映画、『夢幻琉球・つるヘンリー』(1998年)。大城美佐子主演の映画ということで随分観たかったものだが、2005年にジョナス・メカスが来日した際のレセプション・パーティーで高嶺氏の姿を見つけ、この映画を観たいとの話をした。すると、ヴィデオは実はあるのだということで、後日、売っていただいた。

今日、久しぶりに観たが、映画を貫く緊張感が希薄で、ひたすらけだるいことを改めて感じた。とは言っても、それはドラマツルギーという面での緊張感であって、けだるい世界でのアメーバ的な拡がりという面では、得体の知れない際立った力がある。ドラマという形で漲ってはいない、それだけのことだ。

ここに登場する映画監督はメカスならぬメカル。彼がガジュマルの樹に挟んでおいた『ラヴーの恋』という未完の映画の脚本を見つけたつる(大城美佐子)は、メカルのもとを訪れる。つるは民謡歌手、自分のラジオ番組を持っていて、あちこちでゲリラ的に唄を発信する。メカルは台湾へ逃げ、つるは息子ヘンリーとその家で暮らすようになる。そのうちに、つるとヘンリーは台湾のメカルを探しに行く。

ラジオでは、脈絡無く、津波恒徳が「シンガポール小」を唄う。沖縄からの海外移民の唄だ。また、読谷からラジオ番組を放送するとき、つるは、「象のオリ」にアンテナをつなぎ、北京やヴェトナムからの電波を拾う。これに、つるが唄う「白雲節」が重なる。台湾では、地元の流しとつるが「蘇州夜曲」を唄う。台湾で見つけられたメカルは、市場で蟹を食べながら、自分の祖先はペリーの養子や、「頑固党」に属して清国に亡命した者だと独白する。日清戦争の時に、親中国派であった面々である。

そして、『ラヴーの恋』の1シーンとしてコザ暴動の8ミリ映像が流され、ヘンリーが扮するジェームズが言う。

「私は、沖縄を軍事基地として、太平洋のかなめ石としてとらえているアメリカにも、そして祖国と言われている日本にも、心許せる気持にはならない。・・・私は、私のあり方を私抜きで平気で決定した国家というものには、もううんざりだ・・・」

劇中劇において、沖縄の青年ジェームズは、60年代の終わりに米国に留学し、実は父親が反米運動家であったという事実を知ってしまったがために記憶を抹消され、強制送還されるという設定になっている。そしてコザで火炎瓶を投げるのである。

明らかなる挑発的なアナーキズムとけだるいクロスボーダー。沖縄、ヤマトゥ、米国、移民先の南方、台湾、中国、ヴェトナム。この、でろでろと外へ外へと侵食するヴィジョンは極めてアンバランスであり、そのために高嶺剛の映画は広くは評価されていない。