ヴェトナム戦争を取材し、最近では日本縦断徒歩旅行を行った写真家・石川文洋の父親は石川文一といい、作家であった。何か読んでみたいと思って探すと、義賊・運玉義留(ウンタマギルウ)を描いた小説を2冊見つけることができた。沖縄でかつてテレビ放送されたようで、そのスチルも口絵として掲載されている。
運玉義留といえば、高嶺剛の映画『ウンタマギルー』にしか接したことがない。それも観たのが随分前だから、てるりんや戸川純が登場する奇怪な作品であったとしか覚えていない。
『琉球の平等所 捕物控』(琉球文庫、1974年)は短編連作で、運玉義留だけでなく、玉那覇大筑(タンナフワウフチク)という「巡査部長格」の活躍を描いた作品も含まれている。また、『怪盗伝 運玉義留と油喰小僧』(琉球文庫、1976年)は、遡って運玉義留が盗賊となり、油喰小僧(アンダクェーボゥジャー)を仲間にするときの様子が描かれている。運玉の森に住む義賊のことはいいとして、油喰小僧の名前の由来がまた変だ。幼少時からガチマヤー(食いしん坊)で、アンダギーを揚げているのを見てそばに行ったところ、はねた油が頭に飛んで、いくつかのカンパチ(ハゲ)がある。アンダギーを食い損なって油を食った油喰というわけだ。
ストーリーはユーモラスな勧善懲悪ものであり、謎解きも極めて素朴だ。しかし飄々とした登場人物たちの個性が愉快で、飽きずに面白く読める。特に、油食小僧とヤナハーメー小(老いぼれ婆さん)との毒付き合戦がひたすらユルく愉快。たぶんテレビや舞台であれば、ゲラゲラ笑うだろう。
油喰 「それはそうと、何か喰いてえなあ」
ハーメー 「このガチマヤー(食いしんぼう)、色気と食い気ばかりだから、しょうもない」
油喰 「そうさ、それがなくなったら、生きていたって、何がおもしろい。おめえみてえなハーメー小はさあ行った、行った」
ハーメー 「どこへ?」
油喰 「グソウ(あの世)へ」
ハーメー 「グソウなんかへ、『さあ行った、行った』と、追い立てられたからといって、『よしきた行くよ、行くよ』と、そう簡単に行けるかよ」
油喰 「行けねえのか」
ハーメー 「帰りはいつになるか知れないじゃないか」
興味深く思ったのは、中国との距離だ。「面子(メンツウ)」という言葉を使った運玉義留だが、大筑にはわからない。運玉には、「唐のお国(中国)とつきあいの深いこの琉球だ。それぐらいの言葉はわかりそうなものだが、大筑にはちと無理かな」と喋らせている。
被差別の者「ニンブチャー」についても言及がある。実際には、沖縄において差別がどのように顕れていたのだろうか。そして著者の意識はどのていどの位置にあったのだろう。
「彼らは日本における、え多と同様、百姓階級の者からも蔑視、白眼視されている下層社会の人であったのだ。
したがって、彼らは一般の社会人に対して敵意を持ち、ニンブチャー達が集団生活している特殊を、俗にニンブチャー屋(やあ)と言って、そこには一般の人を容易に近づけず、彼らもまた、その地域以外には、めったに出ることはなかった。」
それにしても、このテレビドラマを観てみたいところだ。何か残っていないだろうか。
左が運玉義留、中央が油喰小僧かな?