Sightsong

自縄自縛日記

村井紀『南島イデオロギーの発生』

2009-08-01 13:55:56 | 沖縄

今回沖縄に行くにあたって、旅に冷や水を浴びせかけるに違いない書、村井紀『南島イデオロギーの発生 柳田国男と植民地主義』(岩波現代文庫、2004年)をあえて携行した。飛行機の中では子どもが騒いだりしがみついて寝たりしていたこともあるが、冷や水が痛すぎてなかなか読み進められなかったのは事実で、戻ってから読み終えた。これを読んだあとでは、「海上の道」などと無邪気に口走ることができなくなる。

問題として俎上に載せられているのは、柳田國男の晩年の説、「海上の道」だ。琉球とヤマトゥとを同祖にあると見なすこのストーリーは、日本の植民地主義と表裏の関係をなす「南島イデオロギー」に他ならないものだった。そして柳田國男の手は、植民地主義を自ら進めた者として、血で汚れていた。琉球に向けた眼は、それを忘却し、隠蔽するものだったとする。

柳田國男は官吏として、日韓併合(1910年)に相当深く関わっていた。また、日清戦争後の台湾獲得にも、山形有朋という存在にも、親族を通じてかなりの近い関係にあった。その侵略プロセスに異を唱えて離脱したのではない。たとえば日本統治下朝鮮での三・一独立運動(1919年)、関東大震災時のデマによる朝鮮人虐殺(1923年)といった占領の破綻を体験し、何事もなかったかのようにそれに眼をそむけ、政治とは関係ない南島ファンタジーを作りあげたのである。

勿論実際のところ、台湾獲得も日韓併合も、琉球処分(1879年)、さらには北海道の占領に遡る血塗られた歴史の流れにある。したがって、柳田の南島イデオロギーは、単一民族国家というイデオロギーに加担したものとして理解される。

筆者の批判は、アイヌを滅び行く存在として学術的に搾取した金田一京助にも、柳田國男のヴェクトル生成に大きな役目を果たした伊波普猷にも向けられる。伊波がいなければ柳田の「海上の道」は生まれなかったかもしれないし、その伊波の発展にはヤマトゥ出身の田島利三郎という教師の存在が大きく影響した(与那原恵『まれびとたちの沖縄』、小学館101新書、2009年)。

「さて、この「起源」の語りは、「日本」の「南北」問題という語りのうちに(実際、「南島」を論じるものは絶えず「北海道」を想起している)、「東西」の関係を消去してやまない。「西(中華・西欧)」に対する東の夷狄=日本というミゼラブルな自己意識を忘却させ、他者を消去するのが「南北」の軸なのである。」

「マレビト」による琉球侵略という、一見柳田と逆ヴェクトルにある折口信夫も、「ヤポネシア」を提唱する島尾敏雄も、琉球の存在を相対化し、同質化し、ヤマトゥのナショナリズムを強化するものだという。ここまで来ると舌鋒鋭すぎて、この攻撃自体がイデオロギッシュに感じられてくるほどだが、そのような側面は認めるべきにちがいない。

「ここで、1960年代から1990年代に復活した「南島」論と「民俗学」を見なければならない。基本的な骨格は柳田・折口を踏襲しており、これらが発見される過程も―――耐えがたき現実から「あるべき」世界に撤退したこと―――を反復している。島尾敏雄の「ヤポネシア」プランが登場するのは、1961年の「ヤポネシアの根っこ」からであるが、彼の場合、県立図書館長としての奄美行き自体がすでに「あるべき」世界への”亡命”であり、特攻体験を反復し、その濃密な愛の家庭劇『死の棘』の主人公が「妻」の「心の中」にアルカイックな女性を見いだすのは、愛による、同情に基づく、内的支配・「オリエンタリズム」(E・サイード)というほかにない。オリエンタリズムはつねに、愛情による支配の物語である。もとより「ヤポネシア」の(日本列島)の「根っこ」(奄美・沖縄)とは、「日本の源郷」・「原日本」を意味するにすぎない。日本のナショナリズムを「根っこ」から、相対化するというその主張は、実際には柳田らの「大陸」文明に対する”排他性”をも共有するように、”ナショナリズム”そのものなのである。」

●参照
与那原恵『まれびとたちの沖縄』
島尾ミホ・石牟礼道子『ヤポネシアの海辺から』
齋藤徹「オンバク・ヒタム」(黒潮)
伊波普猷の『琉球人種論』、イザイホー
島尾ミホさんの「アンマー」