Sightsong

自縄自縛日記

イレーネ・シュヴァイツァーの映像

2009-08-02 17:58:17 | アヴァンギャルド・ジャズ

スイス人ピアニスト、イレーネ・シュヴァイツァー。確か10年以上前に来日して法政大学などで演奏したような記憶があるが、聴きにいかず、いまだ後悔している。彼女の映像といえば、チャールズ・ゲイル、ジョン・ゾーン、ペーター・カワルド、A.R.ペンクの絵などあまりにも貴重な記録をおさめたドキュ、『Rising Tones Cross』(Ebba Jahn、FMP、1984年)において1曲のみ演奏しているのを観ただけだ。

最近、この『Irene Schweizer』(Gitta Gsell、Intakt、2006年)を観ることができた。75分間のドキュであり、これまでのシュヴァイツァーの活動や考え方が語られている。なお、映画の冒頭で、他者が「彼女はあまり海外に出向かず、日本にも行っていない」と言ったところ、即座に隣の男に「行ってるよ」と否定されていて、来日のことを思い出した次第である。

演奏の組み合わせは凄い。まずフレッド・アンダーソン(テナーサックス)、ハミッド・ドレイク(ドラムス)との初顔あわせ、ちょっと音を合わせただけでインプロヴィゼーションに突入する。アンダーソン爺がシュヴァイツァーのメロディーに対して繰り出す早いリフレーンは大丈夫かなと思わせるが、そこは問題ない。

ルイス・モホロ(ドラムス)とのセッションもある。アパルトヘイトを避けて南アフリカからスイスにやってきたモホロは、当時「ブルーノーツ」というグループの一員だった。68年のフランス5月革命を経てもいた。そしてシュヴァイツァーはそのエキサイティングな潮流の中で活動する。映像では、最近、南アフリカでのふたりの共演がおさめられている。シュヴァイツァーが、「ここでは主役はモホロ。私のピアノの位置は端っこのカーテンの隣。それでいいの」と、苦笑しているのが面白い。

ジョエル・レアンドル(ベース)、マギー・ニコルズ(ヴォイス)との女性トリオでは、内省的というレアンドルの印象が崩れる野蛮さ。そして、演奏仲間が女性であるときには、柔軟でユーモアもあり、男性の場合とはまったく違うのだと語る。

横井一江『Intakt Records ―クリエイティヴ・ミュージックの今を伝える―』(JAZZ TOKYO、2008年)(>> リンク)によれば、シュヴァイツァーは80年代スイスにおけるレズビアン運動のシンボル的存在であったようだ。それはともかく、シュヴァイツァーは、音楽と結婚したのだ、音楽にすべてのエネルギーを捧げたのだ、と、眼にうっすらと涙をためながら語ってもいる。

演奏の圧巻は、ハン・ベニンク(ドラムス)とのデュオだ。ふたりソファに並んで、お互いに60代、フリーをやってきたねとしみじみ語るシーンがあるが、その年齢を微塵も感じさせないベニンクのヴァイタルな動きには口を開けて観てしまう。来日のたびにやってくれる、スティックの1本を口に入れてのパフォーマンス。片足も使うドラミング。真剣な遊びはICPの精神そのものだ。

なお、ボーナスとして、アンダーソン、ドレイクとのトリオ演奏、ベニンクとのデュオ演奏も収録されている。最近の記録なので映像が抜群によく、新宿ピットインの真ん前で観ている気分になる(実際には欧州での演奏)。ここでのシュヴァイツァーの演奏も、レンジが広く、早くて重く、素晴らしいと思う。ベニンクとの演奏中、セロニアス・モンクの「Monk's Dream」に移行するところなどはひとつの大きな盛り上がりだ。聴く方はもちろん嬉しくて笑ってしまう。

●参照
ハン・ベニンク キヤノン50mm/f1.8(浅川マキとの共演)
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(モホロ来日!)
フレッド・アンダーソンの映像『TIMELESS』
『A POWER STRONGER THAN ITSELF』を読む


平和祈念資料館、「原爆と戦争展」、宜野湾市立博物館、佐喜真美術館、壺屋焼物博物館、ゆいレール展示館

2009-08-02 08:28:13 | 沖縄

■沖縄県平和祈念資料館

これまであまり南部には足を運んだことがなく、この資料館も初めてだ。沖縄戦の状況をなるべく具体的に示そうとしている展示には好感を持つ。また、戦後の復興の様子までもカバーしている。

映像やジオラマでの展示では、高地が激しい戦場のひとつとなっていたことが示されている。宜野湾の嘉数も、西原町の運玉森(運玉義留の)もそうだった。また、ガマの一部の再現が生々しい。稲嶺県政のときに、銃を構えて立っていた日本兵が何も持たずに立っている表現に変えられ、自決強要の日本兵については壕の中からそっくり消えてしまっていた、という改竄がなされている(24wackyさんの教示)。

戦後のAサインバーや米兵向け商店の様子は、これまでモノクロ写真で見ていたのみであり興味深い。なかでも、「Made in Ryukyu」の稀少カメラ、「ニューパックス」が展示してあったのには驚いた。奥武山公園近くの「カメラのたかちよ」にも保存してあるらしいが、今回は店の前を素通り。

■「原爆と戦争展」(那覇市ぶんかてんぶす館)

道を間違って国際通りに出てしまった(笑)ときに、眼に入ったので覗いた。広島・長崎のみならず、沖縄戦の証言もパネルで多く示されている。なかでも、ともすれば日本軍のみの責任という言説が支配的になり、米軍は住民を助け出したような文脈で語られることが多いが、米軍は日本軍を上回る残酷なことをしたのだという主張が目立つものだった。

峠三吉の詩、無名の方の詩はやはり恐ろしい。

■「道具たちのゆんたく~民具が語るぎのわんの暮らし~」(宜野湾市立博物館)

小ぶりだが血が通っている、このような博物館はとても好きなのだ。東村立山と水の生活博物館も、名護博物館も同様に面白い場所だった。

この特別展では、鍋などの生活用具のほかに、クバやソテツの葉で作った民具が並べてあった。虫篭も玩具も団扇も蝿叩き(ヘークルサー=蝿殺し)も作ってしまう。子どもも実際に触って遊べる。

鍋の蓋のことを「カマンタ」(釜の蓋)と言い、似ているから「マンタ」という呼び名になったことは初めて知った。ジュゴンのあばら骨で作られた銛があった。

国道58号の北西側、大山地区ではターンム(田芋)が広く栽培されているらしい。つぶして揚げると旨い、沖縄料理でしか食べたことがない芋である。喜友名地区には、石の古いシーサーが町のあちこちにあるらしい。次回以降の楽しみになった。

常設展示も充実している(過去の展示のパンフ『宜野湾戦後のはじまり』を入手した)。入口には、宜野湾で掘り出された、ケービン(軽便鉄道)が飾ってある。レールの幅が狭いもので、那覇と嘉手納、那覇と泡瀬、那覇と糸満をつないでいたものだ。これは後で、「ゆいレール展示館」でも詳しく見ることができた。

■「沖縄戦の図」(佐喜真美術館)

佐喜真美術館を訪れるのは2回目だ。普天間基地を一部返還してもらい、フェンスを新たに食い込むように設置した場所に作られている。実際に屋上から覗き込むと、真下はフェンスと普天間であり、その中に墓もある。

宜野湾市立博物館からワンメーターだろうと思ってタクシーを拾ったら、普天間をぐるっと迂回し、沖縄国際大学横を通ったりするので意外に時間がかかった。

今回は版画展をやっていて、これもそれぞれ楽しめたが、目当てはやはり丸木伊里・俊夫妻の「沖縄戦の図」。大きな展示室の真ん中に3脚の椅子が置かれており、座ってしばし観る。

■「つぼやをみ展、さわっ展」(壺屋焼物博物館)

ここも2回目か3回目だ。壺屋焼には大きくわけて、白くすべすべした「上焼(じょうやち)」と、赤くざらざらした「荒焼(あらやち)」とがある。前者は沖縄北部の白土や赤土(国頭マージ)が、後者は南部の赤土(島尻マージ)が原料とされている。それぞれ作り方が違っていて面白い。釉薬についてもう少し知りたいところだ。

■ゆいレール展示館

息子がゆいレール車内でポスターを見つけて行きたいと主張するので、帰りに空港に行くのを早めて立ち寄った。空港から歩いて15分くらいのところ、ゆいレール本社内にある。幼児が寝てしまい、抱っこして暑い中を歩いてたどり着いたのでへとへとになった。

ゆいレールそのものについての展示はさほど多くない。ただ、パソコンでデザインを選んでいけば、最後にそのデザインのペーパークラフトがプリントアウトされる仕組になっているのは楽しい。

他の目玉は、沖縄の昔の鉄道についての展示だ。宜野湾市立博物館でも見たケービン(軽便鉄道)の地図や時刻表、レール、写真などがあった。那覇から嘉手納まで1時間40分くらい、泡瀬まで30分くらい、糸満まで1時間20分くらいで到着していたようだ(メモしなかったので適当な記憶)。

それから、南大東島にあった機関車についての展示もあった。砂糖黍を運送していたものであり、南大東島出身の内里美香が「島の機関車」で唄っていたこともあって興味があったものだ。


「琉球絵画展」、「岡本太郎・東松照明 まなざしの向こう側」、「赤嶺正則 風景画小品展」

2009-08-02 08:00:08 | 沖縄

真夏の子連れなので、炎天下をぶらぶら散歩、というわけにはいかない。海遊びのほかには、涼しい美術館や博物館にいくつか足を運んだ。他にも行きたいギャラリーがあったが、時間の余裕がなかった。

■沖縄県立博物館・美術館の博物館常設展

設立時にいろいろと揉めて、最近では「アトミック・サンシャイン」検閲事件があったハコである。巨大な建造物の中心にロビーがあり、左右に博物館と美術館が分かれている。新都心にあり、周囲はあまり魅力のないところだ。ただ、前回の訪沖時は年末年始で休み、その前は出来たばかりでオープン前、その前は首里からの移転工事中、といったわけで、随分と行きたかったところなのだ。やたら広くて疲れるので、博物館と美術館と2日間に分けて鑑賞した。

常設展は歴史、文化、考古学、自然などかなり充実している。これだけをまともに観ても足が棒になる。特に面白かったのは自然のジオラマで、やんばるの森や宮古・八重山、マングローブ域、海辺、イノーなどそれぞれ作られている。じろじろ見ると様々な生物や植物が隠れている。また琉球列島の隆起沈降の様子が把握できるギミックもあって楽しい。

ガイドブックも旧博物館時代より良いものになっている。(旧博物館には訪れることがなかったが、これだけは読んでいた。)


新ガイドブック


旧ガイドブック

■「空飛ぶ勇者たち 飛ぶを科学する」(沖縄県立博物館・美術館)

息子がポスターを見つけて行きたがったので、いの一番に入った。凧などを除いて沖縄独自の展示は少ないが、こういうのは好きである。

■「琉球絵画展」(沖縄県立博物館・美術館)

琉球王朝時代から明治期までの作品群。ほとんど知らない芸術家たちだが、やはり琉球なのだ。なかでも長嶺宗恭という画家の作品(『芭蕉の図』など)には惹かれるものがあった。また、首里城や那覇の鳥瞰図のような作品がいくつもあり、いまの様子と比べて眼で歩くことができた。

■「岡本太郎・東松照明 まなざしの向こう側」(沖縄県立博物館・美術館)

それぞれ沖縄と深くつながった外部からの訪問者だ。ただ、今回は東松照明のドライな感覚が気分的に馴染めなかった。有名な波照間の海の写真をよく見ると、縦に引っ掻き傷がいくつもある。付きかたからしてフィルムの傷ではないだろうから、森山大道のように印画紙に一期一会の作為を施しているのだろうか?

また岡本太郎の写真など所詮シロート以下のもので、今回は展示されていなかった久高島の記録などを除いてさほどの興味はない。今回そのことを再確認することになった。石垣島で生きたまま(?)の山羊に藁をかぶせて焼く場面の記録には驚愕してしまった。

■沖縄県立博物館・美術館の美術館常設展

北川民次藤田嗣治などビッグネームの訪沖時の作品が興味深い。それを置いておくと、大嶺政寛大嶺政敏の兄)による写実や、安谷屋正義による先鋭な半・抽象に惹かれるものがあった。

■赤嶺正則 風景画小品展(那覇市ギャラリー)

予備知識なく覗いた個展だったが、サバニや民家など同じモチーフを描いた作品群は魅力的だった。透明感があり、ベルビアのような青い光は、蒸し暑いのではなく独特の感覚がある。4号キャンバスの小品が中心に揃っているのもちょうど良い。

画家がおられて、誘われるままに茶菓子をご馳走になりながら話をした。筆は固めで力が直接伝わるようなもの、絵具はマツダやホルベインが好みということだった。透明感はホルベインの所為かもしれないねとの言。沖縄のアートシーンは抽象画が多く、それは現場に時間をとられず頭の中のイメージだけで作品を完成できて、短期間での成果が得られるからだろう、という話もあった。

たくさんお菓子までいただいてしまったので、子どもたちのおやつにできた。