Sightsong

自縄自縛日記

ラシッド・アリとテナーサックスとのデュオ

2009-08-21 23:41:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

ラシッド・アリが亡くなった。2009年8月12日、心臓発作、79歳。

ジョン・コルトレーンエルヴィン・ジョーンズの後に組んだドラマーである。エルヴィン・ジョーンズが斧を自由自在に使う達人だとすれば、ラシッド・アリは爆竹がばりばり鳴る龍のようで、絡みつくイメージを強烈に喚起させる。コルトレーンのテナーの音が苦手な私も、アリやアリス・コルトレーンが加わった後期のグループには参ってしまう。そして一番のコルトレーン偏愛盤は、アリとのデュオ・アルバム、『Interstellar Space』(Impulse、1967年)なのだ。

ここでのコルトレーンは、<楽器>と<肉体>の化物と化している。ウルトラレベルの演奏技術を最初から最後まで駆使し続け、気持ちは切れそうで切れない、限界そのものだ。アリもまとわり付き絡みつくだけでなく、時折はコルトレーンの頭上で咆える。

この5年後、フランク・ロウのテナーサックスとのデュオ『Duo Exchange』(Knit Classics Records、1972年)を吹き込んでいる。ロウのサックス技術は、コルトレーンに遠く及ばない。塩辛く、マッチョになりきれず、テンポは転ぶような独自な印象。しかし私が好きなのはロウの人間臭さなのだ。互いのソロの後に乱入するプロセスには興奮する。

このライナーノートに、コルトレーンによるアリ評がある。

「彼が演奏するやり方により、ソロイストは最大の自由を得る。どんな時も、彼がやっていることと共存するだろうとの自信を持って、どんな方向も選ぶことができる。彼はいつでも、多方向のリズムを繰り出しているんだ。」

仕方がないとは言え、ジャズの偉大な音楽家が毎年次々に亡くなっていくのは悲しい。「ニューヨーク・タイムス」の追悼記事(>> リンク)によると、ソニー・フォーチュンとのデュオもやっていたようだ。


井上光晴『明日』と黒木和雄『TOMORROW 明日』

2009-08-21 01:15:33 | 中国・四国

井上光晴『明日 ― 一九四五年八月八日・長崎 ―』(集英社文庫、1982年)は、長崎における原爆投下の前日を描いた作品である。「あとがき」によると、ここに登場する人物にはそれなりのモデルがいるということだが、「嘘つきみっちゃん」の言であるから実際にそうなのかはわからない。

その日。あるふたりは結婚式を挙げ、同じ日、新婦の姉は赤ん坊を産む。そして、結婚式に集まった親戚や友人たちそれぞれの日常が、入れ替わり立ち代り浮上する。語り手は唐突に交代し、視線も感情も交錯する。最初はよくつかめないながら、次第に複層的な世界に引き込まれていく、井上光晴の語り・騙りである。

じっとりと暑い日、戦争の窮乏期にあって、いくつもの卑屈さや差別がある。これを目に見えるパフォーマンスで表現することは難しいだろうと感じる。

井上光晴の想像力は、出産時の苦しみの独白で極みに達する。こればかりは、体験できない自分には共感しようにもできないのだが。

「こんなことはもうたくさんだ。私にはできない。どうにかなってしまったのだ。何かよくないことが起こりかけている。私は多分このまま死ぬ。ねじれた川。私の前で黄金色の水がうねり忽ち渦となる。あれは何。粒状のものをいっぱいつけた透明な紐は。暗緑色に輝く無数の粒はぷちぷち音を立ててつぶれ、そこからまた新しい粒が生まれる。蛇よ、蛇の卵よ、と誰かがいっている。燃やすとよ、早う。火で焼いてしまわんと大ごとになるけんね。」

翌朝までかけて無事赤ん坊を出産し、新しい一日がはじまる。この日のカタストロフを待たずに作品は終わる。

おそらく誰もが想像してしまう「その日」は、ヒロシマナガサキの後でも、私たちにとって永遠に「明日」なのだ。明日になればまたその明日。いつ訪れるかわからない、その「明日」。

仙台行きの新幹線で読み、日帰りしてから、黒木和雄『TOMORROW 明日』(1988年)を観た。原作のエッセンスはうまく活かされてはいる。ただ、決定的な欠陥がある。

狭い袋小路にあって、人びとの差別的な感情、鬱屈した感情が描かれていない。示されているのは、朝鮮人や捕虜となった米国人への差別的な行為であり、あくまで目に見えるパフォーマンスである。それだけでなく、明瞭に発声する劇では駄目だろうと思う。

それに輪をかけて、桃井かおり、佐野史郎という、顔に「演劇」と書いてある役者のパフォーマンスであっては、日常からかけ離れた世界にしかなっていない。井上光晴による、出産時の想像力の飛翔に比べ、大汗をかいて苦しむ桃井かおりの姿はどうしようもなく格落ちだ。

●参照
井上光晴『他国の死』
原爆と戦争展
原爆詩集 八月
青木亮『二重被爆』、東松照明『長崎曼荼羅』
『はだしのゲン』を見比べる
『ヒロシマナガサキ』 タカを括らないために