神田小川町の澤口書店(>> リンク)の店頭に置いてある安売りコーナーは回転が速く、ときどき覗くと発見がある。畑山博『「銀河鉄道の夜」探検ブック』(文藝春秋、1992年)もそのひとつだ。宮沢賢治『銀河鉄道の夜』(1924年ころ)に憑りつかれ、自宅の庭に銀河鉄道の始発駅まで造ってしまった作者が、車輌構成や大きさ、乗客数、駅間の距離、枕木の素材、動力源などのディテールを突き止めようとする本である。
追求は、賢治のテキストをたよりに、計算したり、願望で創作したり。作者の詩的な主観が全体を覆っているという点で、ひと昔に流行した『○○の秘密』とか『○○研究序説』といったものとは随分異なる。
「人はただぼんやりと知性だけで武装していたのでは、こういう世界は思いつくことができない。」
作者の推理によると、28席ある車輌は6輌編成。銀河は水の中、その水を集めて走る水力機関車。鋼鉄のレールの下にある枕木は雲の鋳物。乗客には生者も死者もいる。光速に近いため、カムパネルラが溺れてからジョバンニと銀河鉄道に乗り、ジョバンニが突然此岸に戻ってくると40分しか経っていない。
もちろんカムパネルラは彼岸へと向かう死者、ジョバンニは生者である。この作品の背景には、妹トシを亡くした宮沢賢治のサハリンへの旅があったことはよく知られている。妹のことを痛切に想い、彼岸と此岸とをつなぐ世界を創出したわけだ。この旅の途中、賢治が書いた『青森挽歌』は悲しいイメージに溢れている。通勤電車で読み、駅を降りて歩く私の中にも、泣いてしまいそうなイメージが残っていた。やはり賢治は天才だ。
「あいつはこんなさびしい停車場を
たつたひとりで通つていつたらうか
どこへ行くともわからないその方向を
どの種類の世界へはひるともしれないそのみちを
たつたひとりでさびしくあるいて行つたらうか」
それにしても、『銀河鉄道の夜』は素晴らしい作品である。また読み返したい。