Sightsong

自縄自縛日記

クリス・ロビンソン『ライアン・ラーキン やせっぽちのバラード』

2009-10-23 22:10:37 | 北米

インターネット新聞JanJanに、クリス・ロビンソン『ライアン・ラーキン やせっぽちのバラード』(太郎次郎社エディタス、2009年)の書評を寄稿した。半分は推薦、半分は残念ながらケチ。

>> 『ライアン・ラーキン やせっぽちのバラード』の感想

 渋谷のユニークな映画館ライズXで、ライアン・ラーキンの短編アニメ集を観た。ギリシャ神話をモチーフにした『シランクス』(1965年)、せわしなく喧しい都会の動きを描いた『トラフィック』(1966年)、歩く人々の動きだけで観る者の眼を釘付けにする『ウォーキング』(1968年)、ビートニクの楽しさが詰まった『ストリート・ミュージック』(1972年)。

 すべて10分にも満たない作品ばかりだが、文字通りラーキンという「若きオタク」の手作業のみにより創り出された暖かい世界である。そして、1960年代後半から1970年代前半、20代のうちに才能を発揮したあとは、ドラッグと酒に溺れ、ホームレスとして何十年も過ごすことになる。

 おそらくプロモーション上は、ホームレス化とそこからの再生を含め、不世出、悲劇の天才としておきたいのだろう。もちろん、わざわざ足を運んで観るに値するものだ。しかし、今の眼で観れば、悲劇は置いておいても、不世出の天才というにはやや過大評価に思える。

 本書は、そんなラーキンをホームレスから救い上げ、ムーヴメントを作ったアニメ・ディレクターによる手記である。ラーキンとは関係のない自分の体験を中心に話を展開するのがユニークであり、冒頭からラーキンについて「天才だったわけじゃない」「彼の作品はとりとめがなくて不完全で、少しばかり彼自身の人生と似ていた」と表現するくだりから、もうこの語りを信頼してよいのだろうと思わせる。

 自分の本当の父親探しや、酒浸りからの脱却が、著者自身の体験である。そんな激しい日常の中で、我儘で弱いラーキンを支えようとし、振り回され、怒り狂う。しかし、同じ人間が関わっている以上、見かけ上は関係なくても、自身の問題とラーキンの問題とはたえずつながっていた。そしてその人間くささ(というより、問題を抱えた弱い存在が人間そのもの)は、やはりラーキンの作品に流れている人間くささと重なっていくのだった。

 だからこそ、本書を読むだけでなく、あわせてラーキンの若き日のアニメを観て欲しいと思う。調べてみると、本書の原書『The Ballad of a Thin Man』には、『ウォーキング』『ストリート・ミュージック』と、ラーキン自身をアニメ化した『ライアン』(クリス・ランドレス監督、2004年)が収録されたDVDが付いているようだ。

 だが、本書の「訳者あとがき」には、原書と訳書の違いを細かく説明しているにも関わらず、DVDが無いことについてはまったく触れていない。版権上やむをえないのかもしれないし、日本での映画上映のプロモーションにならないからかもしれないが、ここは誠実に言ってほしかった。映像がある、ないとではまったく価値が異なるのだ。

●参照 ライアン・ラーキン