今日、所用でインドに、ではなく、福岡に行ってきた。飛行機内の友は、堀田善衛『インドで考えたこと』(岩波新書、1957年)に決めた。私がインドに行ったのは4年ほど前、ただ強烈な印象は決して消えない。
それにしても1957年、初版から50年以上が経っている。インドで開催された文学者の会議に出席することになった堀田善衛は、あるインド人に、「われわれは貧しい。しかし五十年後には―――」と云われ、考え込んでしまう。
「五十年後の日本―――私はそんなものを考えたこともないし、五十年後の日本について現在生きているわれわれに責任があるなどと、それほど痛切な思いで考えたこともない。われわれは日本の未来についての理想を失ったのであろうか。一般に、長い未来についての理想をもたぬものは、それをもつものの未来像のなかに編入されて行くのが、ことの自然というものではなかろうか。何かぎょッとさせられる。」
もちろん堀田に責任はない。しかし実際にその50年後が何事もなかったように過ぎてしまい、日本は理想も未来もあるかないかわからないままであり、発展著しいとはいえ貧しいインドはまだ存在する。依然、常にぎょッとさせられ続けているわけである。
堀田の見たインドは、ひとりひとりの自己主張が猛烈に強く、純粋とは対極にあるような矛盾したものが同時に存在し、直接に歴史や宗教や神話を取り込む姿であった。非論理的で滅茶苦茶でありつつも、それらを体感したあとで見る日本は、いかにも空疎であった。堀田の頭の中には、夏目漱石が日本の開化を「外発的」かつ「皮相的」であるとした指摘がこだましていた。
「そしてこれは、単に政治だけでなく、より根本的には近代日本人の心性そのものが、こんな工合に表裏反対のものをもち、従って根本的な問題はつねにこの二重性の谷間につきおとされて、ウヤムヤになってしまう、ウヤムヤにしてしまう。つまりウヤムヤのうちに時間がたち時代と流行のようなものが変れば、それで済んだような気になる―――こういう心性、こういう時間と歴史のおくり方をわれわれはどこから得て来たのか。」
だからと言って、「ぶれる」ことがなく、強面で、強靭な哲学らしきものを持つようなリーダーを求めるのが間違いだということは明らかなのであって、私などは、それは個人の裡に抱え込まなければならないと信じるのだがどうか。
書かれて50年以上が経ち、相当にその時間を感じさせる部分もある。しかし、もっともらしい「文明批評」などでも、一時期流行ったような浅い「日本特殊論」でもないことは確かだ。ユーモアが溢れる思索的な書である。今まで縁のなかった堀田善衛というひとがちょっと好きになってしまった。