ブログに書きこまれたクイナ2号さんの囁きが木霊して、結局行ってしまった。吉増剛造の写真展「盲いた黄金の庭」に合わせて行われたトーク、「まず、木浦Cineをみながら、韓の国とCheju-doのこと」。鵜飼哲、李静和、若木信吾という面々が登場した。
吉増剛造写真展「盲いた黄金の庭」
ギャラリーには、吉増剛造が近年取り組んでいる、多重露光によるカラー写真が展示されている。映画、『島ノ唄』(伊藤憲)には吉増の撮影の様子が捉えられているが、そこで観察できるのは、ギクシャクと歩き、また呟きながら、パノラマカメラのフジTX-1を使う姿である。とても本人の言うように「口笛を吹くように撮る」とは言うことができないが、この姿も紛れもなく吉増剛造であった。そんなことを思い出した。そしてこの写真群は、意味を剥奪された状態で、光の解釈を許さず、また光に従属するでもなく、ただ光と共存していた。
まずトークに先立って、暗黒舞踏と共演した吉増剛造の朗読の映像(若木信吾による)が上映された。何ものかを通過して絞り出された言葉を断ち切りつつ、吃りつつ、再生産していく。吉増の声は、以前と変わらず、剥き出しの血管のようだ。言葉の恐ろしさを傷だらけになって提示する詩人・吉増。
トークでは、鵜飼哲が、吉増の写真世界についてコメントを述べた。見える世界が重なることで、却って見えない世界のことが気になってしまう。それは決して不快ではなく、引寄せられるものだ。偶然性と自由などさまざまなボーダーが曖昧である。吉増の写真を観るものは、彼の文学と同様に、神経のような無数の導線がさまざまな世界とつながっていることに気が付くであろう。そして吉増の文学が世界とつながりを持つのは極めて狭い点においてであり、そこでの底は非常に深い―――と。
写真集に文章を寄せた李静和は済州島の出身である。済州島の山を流れる川は、岩の間を「縫うように」、「小枝のように」流れるという。吉増剛造は、島尾ミホが奄美において同様の流れを指さし、ここで選骨をしたと呟いた話を紹介した。もう10年以上使っているという『韓日辞典』からもインスピレーションを得ながら、吉増は、ミクロなトポロジーによって、韓国、琉球、日本を不可思議にシンクロさせていく。
ナマの声を聴いて改めて感じる言葉の恐ろしさ、なのだった。
吉増剛造、鵜飼哲
お土産に、巻物状の巨大な原稿作品の印刷を頂いた