Sightsong

自縄自縛日記

バフマン・ゴバディ(4) 『亀も空を飛ぶ』

2010-08-19 00:10:39 | 中東・アフリカ

バフマン・ゴバディが傑作『半月』(2006年)の前に取った作品、『亀も空を飛ぶ』(2004年)を観る。イラク北部のクルド人居住地域、現在はクルディスタン自治区となっているところが舞台となっている。米国によるイラク戦争の前、サダム・フセインは長い弾圧を続けていた。

子どもたちは、地雷を掘ってその日暮らしのオカネを稼いでいる。地雷により足を無くした子もいる。村に定住していた人だけではなく、流れてきた難民たちもいる。「サテライト」という渾名の少年は、子どもたちの隊長分として、地雷掘りを仕切り、大人と交渉し、衛星放送を観るためのアンテナを付け、危いほど必死に生きている。彼は米国に妙な憧れを持っている―――地雷も「米国製」だというのに。サテライトの前に現れた、両手のない少年ヘンコフとその妹アグリン、そして幼児。ヘンコフには、突然未来が見える能力があった。逆にアグリンには、イラク兵に襲われた過去がフラッシュバックとして見えてしまう。幼児はアグリンにとって、その過去の呪われた子であった。子を殺すアグリン、ヘンコフはその様子も、フセイン像が倒される未来も、突如イマジナリーな映像として見る。

悲惨さを極める話とは対照的に、映画はまるでお伽話のような閉ざされた性格を持っている。しかしそれが、閉ざされざるを得なかった故に形成されたコミュニティであるからこそ成立している。そして暴力的に楔のように、しかし無邪気に世界に入り込んでくる米軍(邪気を孕んだ無邪気という米国)。その姿を前にして、サテライトは混乱する―――まるで、J.G.バラード『太陽の帝国』において、上海租界の軍国少年であったジムが幻想を粉々に砕かれたときのように。トラウマという過去、現実かどうかよくわからない現在、超能力によって幻視する未来が同じ世界に存在し、見事な作品になっている。その未来も、イラク戦争を見たばかりのゴバディが遡った過去だと考えれば、クルド人たちの追い込まれた世界を創りあげようとするゴバディの執念のようなものが感じられる。

ゴバディのインタビューを読むと、こんな発言がある。「強大な外国人たちには、私たちに天国を創り出す力などない。彼らは私たちを利用して、自分たちが楽しむための素晴らしい場所を得ているのだ。

もちろんこれは、<帝国>に向けられたゴバディの一刺しである。

●参照
バフマン・ゴバディ(1) 『酔っぱらった馬の時間』
バフマン・ゴバディ(2) 『ペルシャ猫を誰も知らない』
バフマン・ゴバディ(3) 『半月』
ジャファール・パナヒ『白い風船』
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』
シヴァン・ペルウェルの映像とクルディッシュ・ダンス
クルドの歌手シヴァン・ペルウェル、ブリュッセル
ユルマズ・ギュネイ(1) 『路』
ユルマズ・ギュネイ(2) 『希望』