Sightsong

自縄自縛日記

小浜司『島唄レコード百花繚乱―嘉手苅林昌とその時代』

2010-08-21 14:44:17 | 沖縄

小浜司『島唄レコード百花繚乱―嘉手苅林昌とその時代』(ボーダー新書、2009年)を読む。著者は那覇の島唄カフェ「いーやーぐゎー」店主(移転前は国際通り沿いの「まるみかなー」)にして、大城美佐子や嘉手苅林昌などの唄者のCDを多くプロデュースしている。「いーやーぐゎー」を訪れると、必ず何か面白いネタを教えてもらえる人である。

もちろん知らない唄者やレコードのことがたくさん書いてあるが、いちいち面白い。知っていることに関しても、いろいろな発見がある。これはもう、限られた者にしか書けない本だろうね。願わくはもっと大部の本を書いてほしい、それから、「いーやーぐゎー」に無限にある昔の民謡番組のヴィデオを凝縮してDVD化してほしい。ちょっと店で見せてもらうだけでも、上原知子、古謝美佐子、大工哲弘など、昔の姿で登場して吃驚させられるのだ。

発見。

知名定男と大城美佐子による「十九の春」のB面は「二見情話」(自慢だが、私もこのレア盤を持っているぞ)。戦時中、出会ったのは久志、語ったのは辺野古、通ったのは二見といった歌詞である。辺野古界隈を唄った新しい唄であり、ジャケットが米軍基地であることもこれでわかる。
○かつては単にエイサーではなく七月エイサーといった。旧暦7月13日~15日、旧盆のウンケー(お迎え)、中日、ウークイ(お送り)の3日間に行われたものだった(つまり明日から)。林昌のEP盤もあった。私の持っている『七月エイサー』(マルフクレコード、1985・88年)は比較的新しいもので、林昌がずっと唄っている。ドラマ『ちゅらさん』では、藤木勇人が経営する沖縄料理店において、よくBGMとしてかかっていた記憶がある。なお、『年中エイサー』というアルバムがあり、内里美香が参加しているので欲しいのだが、季節性を否定している気がしてまだ聴いたことがない。
○沖縄海洋博(1975年)、道路の自動車の向きを変えた「730」(1978年)などをネタにした島唄があった。それにしても「ナナサンマル音頭」って何だ。
○演歌歌手・城間ヨシの88歳バースデーライヴの様子が書かれている。「お客全員がひれ伏すほど」だったようだ。なお、このライヴをやろうやろうと小浜さんがヨシさんに持ちかけている現場に居合わせた(>> リンク)。CDで聴くヨシさんの歌声は凄かっただけに、ライヴにも行きたかった・・・。
瀬良垣苗子「うんじゅが情どぅ頼まりる」(作詞作曲:知名定男)は、いろいろにA面・B面のカップリングで出された。私の持っているのは「新殿様節」とのカップリングだが、本書に載っている「くんじー小」とのカップリング盤のジャケットの写真は前者の一部をカットして使っている。二度三度美味しい商売だったということ。

本書の後半は、嘉手苅林昌の小伝にあてられている。戦争、放浪、奇行、大城美佐子との絡み、竹中労のこと、本当に面白いが、近くにいたら大変だっただろうねと思う。沖縄に帰ってきてから1年、30歳の林昌の初レコーディングが収録された『ジルー』(ビクター)を改めて聴く。林昌の声も、大城美佐子の声もひたすら凄い。著者の小浜さんもこの盤の制作に深く関わっている。

あっ興南が優勝した。

●沖縄民謡・島唄
嘉手苅林昌「屋慶名クワデサー」、屋慶名闘牛場
大城美佐子&よなは徹『ふたり唄~ウムイ継承』
大城美佐子の唄ウムイ 主ン妻節の30年
代官山で大城美佐子を聴いた
Zeiss Biogon 35mm/f2.0 で撮る「島思い」
Leitz Elmarit 90mm/f2.8 で撮る栄町市場と大城美佐子
高嶺剛『夢幻琉球・つるヘンリー』 けだるいクロスボーダー(大城美佐子主演)
『ゴーヤーちゃんぷるー(大城美佐子出演、神谷千尋の唄)
城間ヨシさん、インターリュード、栄町市場
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、イザイホーを利用した池澤夏樹『眠る女』、八重山で演奏された齋藤徹『パナリ』
知名定男の本土デビュー前のレコード(大城美佐子との『十九の春/二見情話』、瀬良垣苗子との『うんじゅが情どぅ頼まりる』)
知名定男芸能生活50周年のコンサート
鳩間可奈子+吉田康子
鳩間可奈子の新譜『太陽ぬ子 てぃだぬふぁー』
金城実+鎌田慧+辛淑玉+石川文洋「差別の構造―沖縄という現場」(知花昌一さんが「時代の流れ」と「二見情話」を唄った)
神谷千尋
内里美香『たびだち』
池田卓
新良幸人の声は太丸
諏訪敦彦+イポリット・ジラルド『ユキとニナ』(UA+大島保克「てぃんさぐぬ花」)


比嘉豊光『光るナナムイの神々』『骨の戦世』

2010-08-21 10:42:21 | 沖縄

先日、神保町の「ボヘミアンズ・ギルド」で千円で見つけた、比嘉豊光『沖縄・宮古島~西原~ 光るナナムイの神々』(風土社、2001年)。宮古の祭祀を記録した写真群だ。国立近代美術館で2008年に開催された『沖縄・プリズム1872-2008』展でオリジナルプリントを観て以来、他の写真も観たかったのだ。

印刷媒体では、もちろんオリジナルプリントの持つ息を呑んでしまうようなアウラは希薄になるが、それでも、おそらくはかなりの広角レンズにより森の中の御嶽に入り込んだ視線は素晴らしい。やはり祭祀を撮った写真家・比嘉康雄の写真がややドライに感じられるのと比較して、共同体の中の会話ができそうな距離感があって、親密感を覚える。

今月の『世界』(2010年9月号、岩波書店)には、比嘉豊光による『骨の戦世(イクサユ)』が8点掲載されている。

那覇新都心において発掘されている、沖縄戦での死者の骨である。日本政府の遺骨収集がいかに杜撰で暴力的であったかという、北村毅による指摘は重要である。遺骨は土建業者により重機で掘り返され、暴力的に匿名化され、その一部はやはり匿名の死者となってどこかで埋立に使われている。掘り返されなくても、無数の遺骨はなお地下に眠り(やはり済州島のように)、経済そのものの象徴である新都心の下にこれだけの死者がいたことが、改めて意識にのぼってきたということになる。

また、仲里効「珊瑚のカケラをして糺しめよ」では、この遺骨に向けられる視線の彷徨を提示されている。

ガマや古墓を日本兵に追い出された住民たちは、死に追いやられ、遺骨さえ拾われることがなかった。珊瑚のカケラを骨代わりにした例は少なくないという。つまりこの骨は日本兵のものだという可能性が高く、だからこそ視線は彷徨う。

「つまり、あの石積みの堅牢な墓には住民が避難していたかもしれないし、完全な形で残されている骨は現し身にあっては住民を追い出したかもしれない戦争器官であった、という疑念はぬぐえない。
 あのイクサにおいては、死や骨さえ平等とはいえない、ということに思い至るとき、国籍や階級、軍人や民間人を問わず等しく沖縄戦の使者たちを弔う「平和の礎」で、強制連行された韓国・朝鮮人慰安婦とその遺族が刻名を拒否したことの意味を改めて考えさせられる。
 拒んだのは「慰安婦」であったことの絶望的な恥辱が理由だとされるが、そのような恥辱を与えた国家の軍人と同じ<礎>に名を連ねることへの強い拒絶があったからだといわれる。取り込みつつ排除した日本の植民地主義の<同化>の倫理への強い否の思想があった。」

●沖縄の写真
仲里効『フォトネシア』
『LP』の「写真家 平敷兼七 追悼」特集
「岡本太郎・東松照明 まなざしの向こう側」(沖縄県立博物館・美術館)
平敷兼七、東松照明+比嘉康雄、大友真志
沖縄・プリズム1872-2008
東松照明『長崎曼荼羅』
東松照明『南島ハテルマ』
石川真生『Laugh it off !』、山本英夫『沖縄・辺野古”この海と生きる”』
豊里友行『彫刻家 金城実の世界』、『ちゃーすが!? 沖縄』


『世界』の特集「巨大な隣人・中国とともに生きる」

2010-08-21 09:30:16 | 中国・台湾

所用で札幌に足を運んだ。機内で『世界』最新号を読む。特集は「巨大な隣人・中国とともに生きる」と題されている。

■行天豊雄「豊かで強い中国とどう向き合うか」

高度成長(5-10%)はあと10年は続く、なぜなら潜在需要があり、都市への人口流入がまだ続き、貯蓄率が高いため投資能力があり、不動産バブルを処理できる税収の余力があり、そのバブルも慎重に対応しているので一気にはじけることはない、といった分析。また人民元がアジアの基軸通貨になるのはまだ先だと見ている。

■樊勇明「成長パターン転換の大局面に立つ中国経済」

景気の減速を示す指標が多く提示されている。中国経済が危いバランスのもとに成立しているが、そのことは中央も認識しており、地方の実情を踏まえて安定成長に持っていく方向だという。興味深いのは不動産バブルの分析であり、その原因を地方政府と不動産業者との癒着にあるとしている。すなわち土地は国のもの、利用するための土地使用金は地方政府に財源となっているが、いまやそのサイクル(土地使用金の増加、さらに行われる都市開発、債務の増大)がかなりアンバランスなものになっている。

さらに、輸出業への逆風、労働人口の豊富から不足への転換にともなう歪みといった分析に関しても、上の論文に比べより実証的で評価できる。

■童適平「中国経済の持続成長に何が必要か」

安定成長のためには消費を促進しなければならないが、実際には、インフラ投資がいびつに膨らんでおり、また都市と農村の格差が拡大し続けているという分析。上の樊論文とは矛盾はしていない。内陸の安くいくらでもある労働力を沿岸が吸い上げる構造を、マクロ的・静的に評価することには限界があり、これが長く続くことはない、ということである。

消費が圧迫されているのは、社会保障(医療費の患者負担率は日本の10%台前半と比較して極めて高い、50%前後!)、教育費負担、住宅価格高騰のためでもあり、加々美光行のいう「社会権」要求の声がますます高まるだろうと読むことができる。

■岡田充「中国―台湾 ECFAがひらく新潮流」

中国と台湾との経済統合が進んでいる(チャイワン)。著者のいう「第三次国共合作」という言葉が適切なものかどうかはともかく、海峡を越えた武力行使は限りなくゼロに近いとする分析は納得できる。対ロシア、対中央アジアも含め、関係の好転による果実をこそ求めているのだ、ということだ(堀江則雄『ユーラシア胎動』)。中国脅威論を軍事的にのみ語るメディアの知的水準の低さよ、ということになるだろうか。

■朱建栄「上海万博から見る中国の現在と未来」

中国との関係が悪化した小泉政権が、万博開催地の投票において中国に票を入れなかったことはともかく、その延長にある「反中」報道がいまだ尾を引いている。日本館が国旗を掲揚しなかったのは過敏な自粛だ(上海環球金融中心の形が変わったことを想起させられる)、いや強制だ、などという報道がなされた。実は通常の習慣だったということで、中国側の担当者からは「フランス、イギリスなどのように国旗を掲揚しない国には別にクレームをつけないし、なぜ日本国内で自分だけがいじめられているような騒ぎになったのか理解できない」との意見も出たという。 

■松田康博「「不確実性」としての中国に向き合う」

ここでも、「中国脅威論」をベースとした対中政策(ハード・バランシング)はもはや時代遅れだとの指摘がある。相互依存関係(ソフト・バランシング)が有効であり、何か綻びが出てきても自然と対処できる仕組みが重要であるとする。

■遠藤誉「「網民」パワー 四億人の声が政府を動かす」

韓国では「ネチズン」、中国では「網民」。ネット原論の影響力は相当に大きいようであり、何と、意見表明手段のうちBBS人口は1.32億人、ブログ開設者の数は2.31億人(!!)。政府への圧力を加える結果も出てきているという。著者の考えでは、「網民」は多くの場合弱者の代弁者として言論を展開し、貧富の差が国家を危くしかねない中国にとって、民意を逆なでできないから、である。検閲やグーグルとの不和が常に話題となっているが、それを逆手にとったアナーキーなパロディも流行しているようである。

■麻生晴一郎「公民社会への道」

NGOへの規制強化が強まっているが、これは上の遠藤論文にあるネット規制と同様、その影響力が強まっていることを示している。

●現代中国論
『情況』の、「現代中国論」特集
加々美光行『裸の共和国』
加々美光行『現代中国の黎明』 天安門事件前後の胡耀邦、趙紫陽、鄧小平、劉暁波
加々美光行『中国の民族問題』
竹内実『中国という世界』
藤井省三『現代中国文化探検―四つの都市の物語―』

●『世界』
「普天間移設問題の真実」特集(2010年2月)
「韓国併合100年」特集(2010年1月)
臨時増刊『沖縄戦と「集団自決」』(2007年12月)
「「沖縄戦」とは何だったのか」特集(2007年7月)