研究者のTさんにお誘いいただき、中里和人展「風景ノ境界 1983-2010」を観るために市川市芳澤ガーデンギャラリーに足を運んだ。
開発前の幕張や浦安の埋立地を撮った『湾岸原野』、江戸川放水路や三番瀬の地べたにイコンを見出した『表層聖像』、小屋の顔を撮った『小屋の肖像』、キリコ的な建造物を見出した『キリコの街』、沖縄などの何気ない路地を撮った『路地』、東京の夜景を撮ることで大いなるイナカ性を顕在化した『東亰』、左右のカーブをセットにした奇妙な『R』、沖縄や愛知などの町のスナップ『4つの町』、闇の光を掬いあげた『ULTRA』が展示されていた。それぞれの新機軸がいまだ新鮮である。特にコザや辺野古の建物の表面、そのマチエールをパラノイア的に捉えようとした『路地』『4つの町』は、眼が喜ぶものだった。
何廻りかの後、北井一夫(中里和人の師匠)とのトークショーを聴く。難産だった『フナバシストーリー』のときの北井一夫の撮影は、撮ることよりも観ることを徹底していたという印象があったという。北井さんは、中里和人のエポックは『小屋の肖像』(『路地』などはその延長線)と『ULTRA』だと指摘した。この小屋写真がひとつの流れの源流となり、ダムやジャンクションなどのオブジェ写真を生んだとする中里さんの自己分析は興味深いものだったが、それでは、いわゆる「工場萌え」写真までもその流れに位置づけるのは強引なはずで、ひとつの側面としてとらえるべきものかもしれない。また、『ULTRA』では、撮れないものを何とか撮ろうとするのではなく、闇の中の光の粒を捉えようとする手法なのだとの話があった。
トークショー後、ふたりの写真家+20人程度での飲み会があった。北井さんには、沖縄での写真というテーマでの話を伺う。曰く、政治に依存しすぎてはならない、政治は力なのだから、と。そして、表現者は、何かに依存せず、孤独でなければならない、と。
●参照 北井一夫
○『ドイツ表現派1920年代の旅』
○『境川の人々』
○『フナバシストーリー』
○『Walking with Leica』、『英雄伝説アントニオ猪木』
○『Walking with Leica 2』
○『1973 中国』