Sightsong

自縄自縛日記

加々美光行『裸の共和国』

2010-08-20 23:26:50 | 中国・台湾

加々美光行『裸の共和国 現代中国の民主化と民族問題』(情況新書、2010年)を読む。何しろ加々美光行の最新刊、読まないわけにはいかない。

 

冷戦構造の中にあって毛沢東の中国が選んだ政策という分析が、非常に面白い。朝鮮戦争への中国参戦を阻止するため、米国は、CIAを使って毛暗殺を企てていた。50年代、インドではネルーの農村発展政策が破綻し、外部依存型経済に転換、IMFからの援助を受ける(しかし南米と異なり、米国の裏庭にはならなかった)。一方中国のとった方向は非同盟、外部非依存型人民公社建設であった。これが印中対立の原点、中ソ対立の原点だと解説する。確かに著者の指摘する通り、文化大革命は、冷戦という過酷な国際環境のなかの綱渡りとしてなされたのであり、文革の功罪だけを評価するのは歴史の一面しか見ていないことになる。そして林彪が謎の墜落死を遂げる事件(1971年)も、ただの権力闘争・粛清として見てはならないという主張にも、納得させられる。

毛沢東に向けられる視線は、いまではイデオロギーよりも、中国建国、そして文化大革命の惨状が主ではないかと思う。しかし著者は、本来は第三世界非同盟主義を貫徹しようとする為政者として、コミューン主義者として、アナキストとして、毛沢東を評価する。

一方、中国の資本主義化をコミューン主義の実現と並行した、しかしねじれの歴史として描いてみせている。イデオロギーは形骸化し、特に鄧小平時代になって、共産党そのものが「巨大な利権授受のネットワークのピラミッドを形成する集団」に化した、とする。多少でも中国ビジネスに身を置いてみると、誰もが思い知らされる側面である。 

中国の民主化に関しては、その運動を、言論の自由などを要求する「自由権」と、生存権・就業権などを要求する「社会権」に分けている。第二次天安門事件(1989年)が画期的であったのは、一見、学生や知識人たちの「自由権」追求が中心であったように見なされるが、実は「社会権」追求が同時に提起されたことにあるとする。また、新疆ウイグル自治区の「東トルキスタン独立運動」は大きなうねりにはならない「自由権」要求であった、しかし、暴動事件(2009年)は「社会権」要求であった、その意味で両者が結び付いていく可能性がある、と。さらに、90年代半ば以降、「社会権」要求を欠いた狭隘な運動が日中両国で活発化、中国では排他的・自尊的な民族主義、日本では歴史修正主義であった、と。特に最後の点は示唆的である。著者は日中双方で互いを映し出す鏡であったのだ、とする。このことは歴史ではなく現在形であろう。

ところで、興味深い指摘がある。「中華思想」という観念は、昭和初期に日本が作りだしたものだという。

「「中華思想」について那波(利貞、東洋史学者)は中国(当時の呼称では支那)が「自己を尊大に考ふる思想」と定義しましたが、これはさっき述べたように自国の大国的発展とともにナショナリズムがその抵抗的性格を失って、自民族を尊大視するときにこそ生じる観念なのです。しかし那波がこう定義したときの「中華ナショナリズム」は、実際には反帝、抗日の抵抗的性格の強いものでしたから、この那波の定義は全く当たっていなかったのです。要するに当時の日本人は、中国が列強の侵略によってズタズタにされながら、なお「自国と自民族を尊大視する」ような、暗愚な民族、暗愚な国家であると見なそうとしたのです。」

●中国近現代史
加々美光行『現代中国の黎明』 天安門事件前後の胡耀邦、趙紫陽、鄧小平、劉暁波
加々美光行『中国の民族問題』
小林英夫『<満洲>の歴史』
満州の妖怪どもが悪夢のあと 島田俊彦『関東軍』、小林英夫『満鉄調査部』
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菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』
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