Sightsong

自縄自縛日記

堀之内貝塚の林、カブトムシ

2010-08-14 23:44:35 | 関東

息子が飼っていたカブトムシ。またクヌギの樹に戻そうという話になって、市川市の北の方にある森林に出かけることにした。真間あたりの森林にはスダジイやクスノキなどの常緑広葉樹が多くて好きなところだが、今回はもう少し北、堀之内貝塚の雑木林まで足を延ばした。北総線の北国分まで電車を乗り継いで、そこから10分ほど歩くと、木々で鬱蒼としている場所に着く。片手には、愛用の『葉で見わける樹木』(林将之、小学館)。


『発見・市川の自然』(市川市、2006年)より

林の中を歩いていくと、ヒノキや白い縦じまのイヌシデが目立つ。クヌギもあった。オスのカブ君とメスのカブちゃんをクヌギの幹に放す。元気に上へ上へと歩いていった。これで夜中のガサガサいう音とも、腐葉土の臭いともおさらばだ。


イヌシデ


カブちゃん


カブ君


カブ君は凄い勢いで上を目指す

気が付くと蚊が異様に多く、子どもたちの手足には無数の刺された跡があった。ムヒを塗って、蚊のいない公園でおにぎりを食べ、市川歴史博物館市川考古博物館を覗く。考古博物館の前には、貝塚跡の一部をなす大きな広場があり、イヌザクラムクノキの大木がある。地面に落ちている葉から上を見上げて探すと、クヌギも、ヤマボウシもあった。


イヌザクラの大木


ムクノキの大木


セミの抜け殻とともに落ちていたヤマボウシの葉


クヌギの葉と特徴的な形の実


クヌギの幹はニョキニョキ上に伸びる

さて帰ろうと坂を下りはじめたところで、息子が脱皮前のセミを見つけた。大仕事はいつだろう。


バフマン・ゴバディ(3) 『半月』

2010-08-14 00:42:20 | 中東・アフリカ

バフマン・ゴバディ『半月』(2006年)を観る。最新作『ペルシャ猫を誰も知らない』(2009年)ではテヘランの若者たちを描いたゴバディだが、その前の本作まで、出自のクルド民族を描いていた。

イランに住む老人マモは、クルド人なら誰もが知っている歌手である。イラク領クルディスタン地域でコンサートを開くため、7か月待って政府承認を得て、息子たちを連れてバスで出発する。途中、学校の先生をしている自分の娘を拾っていこうとするが、マモは夫の反対と生徒たちの姿を見て残るように命じる。マモは、コンサートには女性の歌手が必要だと主張し、立ちいることが禁じられた村に立ち寄る。そこは、外で歌うことができない女性歌手たち千人以上が住む村であった。国境で荷物の下に女性を隠すも、軍に見つかってイランに連れ戻されてしまうばかりか、楽器までも壊される。旧知のクルド人歌手が住む村に行くと、電話で再会を伝えられた友人は喜びの余りに死んだあとだった。絶望するマモを連れてイランに戻ろうとするバスに、突如、不思議な女性が現れる。

ゴバディの描写には深いユーモアがある。バスの向こうで親密に踊る男女の足だけを写し、こちら側では子どもたちがアコーディオンを愉しそうに演奏する。狂言廻しの役を演じるバス運転手は、テープなしでヴィデオカメラを回していたことに気づき、俺はなんて無駄なことをしていたのかと泣いてみたりする。このおっちょこちょいは、元気に皆を連れていくはずが、次第に受難の相を見せはじめていく。どのシーンもひたすら巧く、可笑しく、哀しい。

そして、イラン北部、山腹にびっしりと連なる石の家々の風景には息を呑む。千の歌い女の村も、突然イメージが跳躍し、驚かされてしまう。千の声が共鳴する村に入るマモを取り囲む女性たち。皆が手に太鼓を持ち、静かにトコトコトコと叩きだすのだ。

出発前のマモは、四角い穴の中で呆然と寝転がり、女性が棺桶を曳く姿を幻視する。映画が終わるころ、この不思議なシーンに回帰し、観る者は運命の恐ろしさにハッと気が付く。ニコラス・ローグ『赤い影』に勝るとも劣らない手腕だ。

ゴバディは素晴らしい映画作家であることが、確信できる作品である。

●参照
バフマン・ゴバディ(1) 『酔っぱらった馬の時間』
バフマン・ゴバディ(2) 『ペルシャ猫を誰も知らない』
ジャファール・パナヒ『白い風船』
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』
シヴァン・ペルウェルの映像とクルディッシュ・ダンス
クルドの歌手シヴァン・ペルウェル、ブリュッセル