Sightsong

自縄自縛日記

カマル・タブリーズィー『テヘラン悪ガキ日記』『風の絨毯』、マジッド・マジディ『運動靴と赤い金魚』

2010-08-28 21:57:24 | 中東・アフリカ

カマル・タブリーズィーの新旧2作品、『テヘラン悪ガキ日記』(1998年)と『風の絨毯』(2002年)、それから、マジッド・マジディ『運動靴と赤い金魚』(1997年)を観る。

■『テヘラン悪ガキ日記』
ストリートチルドレンのメヘディは母親を早くに亡くし、親戚に邪険に扱われて盗みを働いた揚句、少年院に入れられている。母親が死んだというのはウソで、本当の母親がどこかにいるという妄想を抱いている。その理想像(彼にとっての現実)は、新聞の切り抜き写真であり、それにそっくりな女性が指導係として現れた途端、母親が来たと思い込む。メヘディは少年院を脱走し、女性とその娘(メヘディにとっては妹)につきまとう。女性は夫をメヘディのようなストリートチルドレンに殺されたという過去を持っていた。

イランの当時の社会問題が織り込まれているが、演出に工夫ひとつなく、映画的な空気を感じることはできない。また、少年メヘディは愛嬌があるものの、異常な妄想癖があるがために、感情移入することが難しい。何か悲惨な出来事が待ち構えているのではないだろうかとハラハラし、早く解決してほしいと権力者のような視線で観てしまうのだ。

■『風の絨毯』
日本とイランとの共同制作。事故で亡くなった妻(工藤夕貴)が作ろうとしていたペルシャ絨毯をイランの工房に発注した夫と娘は、それを受け取りにイスファハンまで赴く。しかし、発注ミスでまだ少しも出来ていなかった。決裂寸前、馬車曳きの少年のアイデアで、わずか2週間での制作に入ることになる。

三國連太郎や工藤夕貴の演技が良いが、彼らはすぐに画面から姿を消す。やがて、母を亡くした少女がイラン社会で心を開いていく話に収斂していくのだが、この演出がやはり平板的で、評価すべきところがない。タブリーズィーの最新作は、アースマラソンを行う間寛平を主役にした『ランアンドラン』(2010年、一般未公開)だが、ちょっと期待できないかもしれない。

■『運動靴と赤い金魚』
少年アリは妹ザーラの靴を亡くしてしまう。怖い父親にも病気の母親にも言えない。当分、学校には兄妹で一足の運動靴を共有して通う。恥ずかしい、お父さんに言いつけるからねとべそをかくザーラ。綺麗なペンをザーラにあげたりして、何とか誤魔化したいアリ。そんなとき、マラソン大会の3等の商品に運動靴が出ることを知ったアリは、先生に泣きついて出場させてもらう。毎日運動靴を取り変えるために急いで走った甲斐あって、1等でゴールしてしまう。涙目のアリ。

タブリーズィーの駄目な演出を観た後だけに、マジディの子どもの描き方や、まさに「ランアンドラン」の工夫が秀逸に感じられる。他の子どもたちの靴ばかりを見つめるザーラの視線や、拾った靴を履いていた少女の家が貧しいと知るや言い出せなくなる兄妹の表情がたまらなく良い。一心不乱に走りすぎて3等になれなかったアリは俯き、ザーラもがっかりしてしまい、家の池に入れたアリの裸足には赤い金魚が寄っていく、これは涼やかで詩的だ。他のマジディ作品も観たいところだ。


レンタル落ちVHSはもはや100円

●参照 イラン映画
バフマン・ゴバディ(1) 『酔っぱらった馬の時間』
バフマン・ゴバディ(2) 『ペルシャ猫を誰も知らない』
バフマン・ゴバディ(3) 『半月』
バフマン・ゴバディ(4) 『亀も空を飛ぶ』
ジャファール・パナヒ『白い風船』
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』


宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』

2010-08-28 02:35:53 | 沖縄

那覇空港の売店には、いつも、ひるぎ社の「おきなわ文庫」がいくつも置いてある。家族で沖縄を訪れた帰り、機内で読もうと何冊か入手した(いつも、その名の通り、ヒルギの写真をあしらった紙のカバーを付けてくれる)。宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』(1998年)はそのひとつだ。韓国に赴任したウチナーンチュの著者が、韓国の歴史や文化、沖縄との関係などについて雑感風に綴っている。羽田からのバスの車内で読み終えてしまった。

琉球は、琉球王国成立前の1389年から1500年まで、朝鮮と頻繁に交流していた。朝鮮もその間に、高麗から李氏朝鮮へと変わった(1392年)。さらにその前、1372年には、琉球はからの招聘にはじめて応じ、冊封・朝貢関係を結んでいた。本書で紹介してあるのは、その時代のエピソードである。

なかでも面白いのは、胡椒と唐辛子を巡る話だ。中世の交易にスパイスは付き物であり、琉球もその例外ではない。4世紀に朝鮮に伝わった仏教は肉食を禁じていたが、1231年から1世紀朝鮮を支配した元は肉食文化であり、さらに李氏朝鮮は儒教を国教とし、肉食が進んだ。そのために胡椒の輸入が必要だったが、1592年、豊臣秀吉の朝鮮侵略により、それが叶わなくなる。同年、ポルトガル人が日本に唐辛子を持ち込み、それは侵略とともに朝鮮にも伝わっていく。胡椒の代替品から食文化の中心へ―――ということは、秀吉がキムチの歴史の始点であったということか? 調べてみると、琉球には、朝鮮経由(または日本経由)で唐辛子が伝わったようであり、泡盛に唐辛子を漬けたコーレーグス「高麗薬」と書く。

韓国と沖縄、ともにかつて中国と冊封関係を結び、方や独立しながらも国を二分され、方や米国と日本にコマのように位置づけられてきた。その両者の共通点を気質や食文化や歴史から見出す本書には、通常とは違った視点を持つものとして、好感を覚えた。韓国のなかでの済州島と、日本のなかでの沖縄とは、差別構造という側面から比較されることが少なくないが、本書の著者は、出身地を韓国で訊かれると、「済州南道」(済州島の南という意味)と答えている。妙に淡々とした面白さがある。