バフマン・ゴバディの最新作、『ペルシャ猫を誰も知らない』(2009年)。映画館に行けるか不安なので、DVDを入手した。円高ゆえその方が却って安い。ゴバディは本作を撮ったあと、イランに戻ることができない状況になってしまった。
「大好きな日本へ行きたかった。しかし、パスポートの査証ページがなくて、その再発行(増補)をしようとしたけれど、イラン大使館から「イランに戻らなければ発行しない」と言われた。今の私がイランに戻るということは、刑務所に入れられるか、二度とイランの外へ出られないということ。私はイラクのクルディスタンを第二の母国として、新しい国籍のパスポートを得たい」(「中東カフェ」より引用)
巷の評判通り、冗談抜きに素晴らしい出来。冗談抜きにというのは、無許可で撮られたテヘランの断片であるらしいからで、また、素晴らしい出来というのは、本当のアンダーグラウンドであるからだ(日本のアングラは構造的にシュミと化している)。音楽が体制批判や変革の力を持つのは不思議なことではなく、インタビュー映像でも、そのために投獄されることは珍しくないと出演者が発言している。
音楽はインディー・ロックだけではない。民族音楽も、ペルシャ語のラップも、子どもたちに弾き語るギターもある。そしてそれらは、隠れたライヴハウスや、個人宅でのパーティーや、農地や、牛小屋や、高速道路脇の高台でのパフォーマンスであり、さらに、テヘランの隠し撮りされた風景がヴィデオ・クリップのように構成される。いや~、かっちょいいね。
DVDの特典映像として、撮影の裏話を収めた1時間ほどのドキュメンタリーがあった。この手のものは自画自賛に満ちていて退屈なことが多いが、これは面白かった。17日間だけで朝から晩まで使って撮られたようで、カメラマンも音声も「ゴバディにつきあうのは大変だったが、それだけの体験ができた」と嬉しそうに語っている(まさかその後、ゴバディが帰れなくなるとは)。実際にその場でどんどんイメージを膨らませてプロットや撮影方法を変えていくゴバディの様子に惹きつけられる。
ジャファール・パナヒの拘束といい、アフマディネジャド独裁政権の下でイラン映画の才能が失われるのは損失に他ならないように思える。
●参照
○バフマン・ゴバディ(1) 『酔っぱらった馬の時間』
○ジャファール・パナヒ『白い風船』
○アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
○アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』
○酒井啓子『<中東>の考え方』(プロテストの手段としてのラップに言及)