神保町シアターで、松田定次『獄門島』(1949年)を観る。『獄門島』と『獄門島 解明篇』の連作をまとめた総集編である。横溝正史の原作や他の映画化された作品と異なり、「ごくもんじま」と読む。
水曜の夜にも関わらず映画館は満員。みんな映画が好きなんだな、何だか嬉しくなる。
片岡千恵蔵の金田一耕助を観るのははじめてだ。古谷一行や石坂浩二のような汚いやさ男ではなく、顔がでかく弁当箱のような身体をした偉丈夫である。他にも渥美清や鹿賀丈史や豊川悦司などが金田一を演じているが、自分にとっては、もの悲しいテレビドラマでの古谷がベスト金田一だ。それでも、さすが名優、眼がでかい顔に吸い寄せられる。
市川崑のモダンできめ細かい演出に慣れているせいか、とても大雑把なつくりだ。その隙間が却って魅力を生み出しているのは奇妙なところである。しかし、せっかくの「気違い」=「季違い」というトリックが無視されてしまったのは残念だ。また、真犯人が原作と違って無理に設定してあり、これもまた不自然極まる展開になっている。
最大の見ものは、フライヤーにもあるように、千恵蔵の哄笑。「うわっははは、うわっははは、うひょひょひょ、うほほほ」と叫び、突如として映画に異空間が訪れる。千恵蔵のでかい顔と同様、ケレンそのものか。何を考えていたんだろう。映画館でも耐えられず皆笑ってしまう。ヘンなの。