土本典昭のデビュー作、『ある機関助士』(1963年)を観る。
37分と短いセミ・ドキュメンタリーであり、東京-水戸間をつなぐ蒸気機関車の機関助士が、いかに教育を受け、ひとつの信号読み取りミスも許されない条件に自分の生活を適応させているか、いやというほど強調されている。それというのも、多くの死者を出した脱線事故のあと、国鉄が岩波映画に作らせた宣伝フィルムであったからだ。(どうしても、JR福知山線脱線事故のことを思い出してしまう。)
とは言っても土本典昭のかっちりした映画作りであって、手、視線、汗、そんなディテールがひとつひとつ力を持っている。轟音をあげて機関助士を真っ黒にしながら爆走する蒸気機関車の姿にも目が釘付けになってしまう。ちょうど電化が進み、蒸気機関車が終わりを迎えようとしていた時期の記録である。
●参照
○土本典昭さんが亡くなった(『回想・川本輝夫 ミナマタ ― 井戸を掘ったひと』)
○「金曜日」の基地利権と岩国記事、「軍縮地球市民」の休刊
○大木茂『汽罐車』