楊逸(ヤン・イー)は「日本語を母語としない」者として唯一の芥川賞受賞者である。その受賞作が『時が滲む朝』(文春文庫、原著2008年)であり、中国民主化運動のなかで生き方を変えざるを得なかった若者たちの姿を、吃驚するくらいストレートに描いている。
この小説では、運動のなかで目立っていたアイコンではなく、歴史に名を残すわけではない者たちを主役に据えている。しかし彼らは、運動を自らのものとして主体的に関わり、自らの身体を捧げた者たちである。その意味で、現代の歴史小説であると同時に、青春小説であり、ビルドゥングスロマンでもある。
彼らは、大学寮で密かに持ちよったテレサ・テンのカセットテープを(周りに音が漏れないように)聴いて別世界に触れ、日本語が解らないうちに尾崎豊の「I Love You」を聴いて自らの姿に重ね合わせ、民主化要求運動に参加し、第二次天安門事件のあと大学を追放される。まるで親の世代のインテリが、文化大革命のさなかに農村へ下放された歴史を繰り返すように。
そして、彼らが第二次天安門事件の報を聞いて愕然とするのが1989年6月、日本で尾崎豊の急死に身体が崩折れるほどの衝撃を受けるのが1992年4月。作家の楊逸と主人公たちの年齢は私よりも上であり、それらの事件がもたらしたものも異なるが、それでも自分と同時代ではある。
思い出すことなど。テレビで天安門の様子を見てにわかには何が起きているのか理解できなかったこと。友人とオールナイトでロッセリーニの映画を観たあとに朝刊を開くと尾崎の死、しかも近所の日本医科大学に運び込まれたことを知り、騒ぎながらも徹夜で我慢できず寝てしまったこと。せつないなあ。昨夜南阿佐ヶ谷で編集者のSさんや杉並区議の方々と呑む機会があり、酔った所為もあってか、長い帰り道に読んでいると感傷的になってしまった。
それにしても、テレサ・テンの歌声は、中国大陸でも底流のように流れていたのだな、と思う。大陸から香港に渡った若者たちを描いた映画『ラヴソング(甜蜜蜜)』を思い出してしまう。
●参照
○沙柚『憤青 中国の若者たちの本音』
○加々美光行『現代中国の黎明』 天安門事件前後の胡耀邦、趙紫陽、鄧小平、劉暁波
○北京の散歩(6) 天安門広場
○私の家は山の向こう(テレサ・テン)
○私の家は山の向こう(2)