有馬哲夫『原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史』(新潮新書、2008年)を読む。本書の一次情報は、米国の情報公開法によって開示されたCIAの内部文書であり、従って憶測や噂で組み立てられた話ではない。
読売新聞社主にして日本テレビ(初めての民間放送会社)社長の正力松太郎にとって、さらなる野望はテレビ、ラジオ、軍事用・新聞用のファックス、データ放送、無線、通信、電話などのメディアを牛耳る「マイクロ構想」の支配だった。それと同時に、首相となることも彼の野望であった。一方、米国は核の軍拡競争において共産圏を凌ぐため、またビジネス拡大のため、「原子力の平和利用」なるプロパガンダとともに日本を自陣営に組み込む必要があった。このふたつの潮流がマッチしたところに、日本への原子力導入のレールが敷かれたというのである。すなわち、正力が原子力利用を高邁な理念として掲げていたわけではなく、また、真っ当な国策として原子力導入が進められたわけでもなかった。言ってみれば、野望のための手段に過ぎないものだった。
勿論、この「原子力の平和利用」という奇妙なスローガンは生きているし、正力というメディアを利用したCIAが狙っていた「テレビによる大衆誘導」も今なお有効だ。米国は、日本に一人前の国家にはなって欲しくなかった。また、国際原子力機関(IAEA)がこの米国の意志から生まれたものであった。さらには、ディズニーやディズニーランドさえも、原子力プロパガンダと大きな関わりを持って発展してきた。こういったことが現在と確実に地続きであるだけに、この歴史には怖ろしいものを感じざるを得ない。
正力は首相になるどころか、政界では大成しなかった。ここには、日本の政治力学だけでなく、正力の政治的野望に手を貸してはならずメディア王として自立させてはならないが、正力を利用したいCIAとの間で起きたプロセスが大きく影響していることがわかる。それにしても、CIAは読売新聞を自らの情報網としても利用することを模索していた、という事実には驚く。そのことはともかく、その後、原子力を大義ある国策としてアピールし続けたこの大メディアの意志は、最初から形成されていたということだ。たまに米国を刺すような論調の記事を続けると、CIAは、それを書いた記者まで特定していたという(!)。
原発は民間なのか、国策なのか。その問題の種も、正力が撒いたものだった。政敵・河野一郎が、原発の推進主体を国として考えたのに対し、正力は民間ベースで急速に進めるべきだと猛反対した。
「・・・民間企業ではたとえ保険を掛けたとしても、原子力発電所の事故が引き起こす甚大な被害を賠償することはできない。これができるのは国しかない。
しかし、正力は河野と対決してまで民間主体を押し通していた。そうしなければ、自分を押し立てた電力業界の支持を失うからだ。
だが、賠償法作成においてこのことが障害になることは明らかだった。つまり、事業は民間主体なのに被害の賠償だけなぜ国がしなければならないのかということだ。河野が主張したように国が主体となっていれば、この賠償法を作る上でも矛盾はなかったはずだった。
あるいはまた、河野の主張に沿って、十分な時間をかけ、研究と検討をしながら慎重に進めていれば、そもそもこのような問題は存在しなかったといえる。」
さて、またもや保守大連立の動きが出てきている。「菅下ろし」は、浜岡原発を止めた菅首相に対する原子力推進の反攻、さらには沖縄の基地を数の力で片づけ、日米の軍備上の緊密化を目指すものに見えて仕方がない。