Sightsong

自縄自縛日記

ソニー・フォーチュン『In the Spirit of John Coltrane』

2011-12-02 07:00:23 | アヴァンギャルド・ジャズ

ソニー・フォーチュン『In the Spirit of John Coltrane』(Shanachie、1999年)は、最初に日本企画盤『コルトレーンの魂』として出されたのだったと記憶する。当時悪くない印象を持っていたが、手放してから長く、ふとディスクユニオンで中古盤を見つけて入手した。

文字通り、ジョン・コルトレーンのフォロワーとしての演奏集である。コルトレーン作曲の「Ole」と「Africa」以外はフォーチュンの手によるとあるが、聴いてみると、悪い冗談かと言いたくなるようなコルトレーン・ライクな曲だ。ピアノのジョン・ヒックスも何だかマッコイ・タイナーを演じているように聴こえてしまう。

例えば「Hangin' out with JC」を2回演奏しており、これは「Countdown」そのものに近い(解説では、「Countdown」と「Moments Notice」を意識しているとある)。しかし、自分はこの演奏が何とも嬉しく、ビリー・ハーパー『Live - on Tour in the Far East』(Steeplechase、1991年)において演奏した「Countdown」の熱気を否応なく思い出させてくれる。

「For John」という曲でのみ、ラシッド・アリ(ドラムス)、レジー・ワークマン(ベース)と組んでいる。アリの蛇のように絡みついては離れるパルス、ワークマンの焦燥感あふれる不穏なベースはやはり素晴らしい。

それでも、フォーチュンは何をやってもフォーチュン、突き抜けるところのないサックスおやじである。『A Better Understanding』(Blue Note、1995年)をわりと愛聴してきたが、これも結局は心地いいBGMに落ち着いてしまう。マッコイ・タイナー『Sahara』(Milestone、1972年)は突き抜けたと思っているのではあるけれども。


1997年、新宿ピットインでサインを頂いた

●参照
マッコイ・タイナーのサックス・カルテット
ラシッド・アリとテナーサックスとのデュオ


伊志嶺隆『島の陰、光の海』

2011-12-02 00:54:13 | 沖縄

伊志嶺隆という写真家を知ったのは、2008年に国立近代美術館で開催された『沖縄・プリズム1872-2008』においてだった。そこには、『光と陰の島』という写真群から、西表島、石垣島、鳩間島の写真が数枚ピックアップされていた。二眼レフで撮られたスクエアフォーマット、モノクロ。無機的でも激情的でもない、その合間に息遣いとともに存在するような印象を持った。

2011年になって、『けーし風』に、伊志嶺の個展の宣伝が掲載されていた。『島の陰、光の海』と題され、那覇市民ギャラリーで開かれるというのだったが、残念ながら沖縄に足を運ぶことはできず、再度、『プリズム』の図録をめくった。未來社から刊行されている沖縄の写真家のシリーズに伊志嶺隆もラインナップされているが、なかなか出ない。実はネットで探してみると、『島の陰、光の海』の図録が入手できるのだとようやく気が付いた。

この写真展は、『光と陰の島』(銀座ニコンサロン、1988年)、『72年の夏』(那覇市民ギャラリー、1990年)、『海の旅人』(未発表)の3部で構成されている。

この中でもっとも古い作品群は『72年の夏』であり、70年代の沖縄の風景が、おそらくは高感度フィルムと号数の大きいフィルタでプリントされたものだ。それは『プリズム』で記憶に擦音を残したものとはまったく異なっていた。フォロワーとしての「コンポラ風」ではないものの、強い陽光を網膜だけでなく印画紙にイコンとして残そうという苛立ちのようなものさえ感じられる。とは言え、苛立ちは何かを物語として残そうという欲望からきたものではなさそうであり、あくまで「風景論」、写真家としての意はどこかに深く鎮められているようだ。逆にメッセージ性が強いのは、主に90年代に撮られた『海の旅人』である。ここでは写真はヤポネシア的な神話に従属する。

そして、やはり理由がよくわからないながら強く印象に残る作品群は『光と陰の島』なのである。露出を抑えめにしたフィルムを使い、号数の少ないフィルタで焼いているように見える。焦げるように焼き付けられたイコンとは異なり、このグレーは写真を取り巻く世界との間で粘液のように振る舞い、視た瞬間にぞっとさせられるアウラを発生させている。あざといほどに静謐をアピールするような写真であっても、これらの写真には、それを受け容れてしまう魅力がある。

伊志嶺隆の転機は、40歳のとき、高梨豊の助手を務めたことにあったという。この、テキスト性が常に先走る写真家の影響が、『光と陰の島』よりも後年の『海の旅人』にこそ神話物語へのはめ込みという形で色濃く出ているのだと考えてみれば、それは面白くはないことだ。

未來社から出る写真集はきっと四千円以上と高く、だからこそこの千円の図録を入手したのではあるが、『光と陰の島』の奇妙な魅力をより多くの写真で感じるためには、やはり未來社版を観ておきたい。それに、『プリズム』でハイコントラストだと感じたプリントと、この図録でのグレートーンとの差を確認したい。


『光と陰の島』より

●参照
沖縄・プリズム1872-2008
高梨豊『光のフィールドノート』