Sightsong

自縄自縛日記

ベルナルド・ベルトルッチ『ラストエンペラー』

2011-12-31 16:48:20 | 中国・台湾

ベルナルド・ベルトルッチ『ラストエンペラー』(1987年)を観る。大ヒットした映画だが、実は観るのははじめてだ(どうも昔から宣伝されるものに反発する癖があって)。


シナリオ集の表紙

公開版よりも長いディレクターズカット版、219分と長いが、ヴィットリオ・ストラーロの色素が濃縮して沈んだようなカメラの素晴らしさ(同じベルトルッチの『暗殺のオペラ』も印象的だった)もあって、まったく飽きない。清朝末期から中華民国誕生、国民党支配、日本の侵略、満洲国建設と崩壊、戦後の中華人民共和国建国、文化大革命の開始まで、愛新覚羅溥儀を巡る激動の歴史を数時間で語ることはどだい無理なのであって、もっと長くてもよかったくらいだ。ただ、全員が英語で喋るのはやはり余りにも不自然。

溥儀役のジョン・ローンは格好良すぎて、(虜囚後もひとりで靴も履けないし、歯磨き粉も出せない生活無能力ぶりは描かれているものの)大日本帝国、中国共産党と、強者に寄り添ってゆくカメレオンのような屈折した個性が充分に表現できているとは言えない。また、英国帰国後に『紫禁城の黄昏』を書く雇われ教師レジナルド・ジョンストン(ピーター・オトゥール)も立派すぎて、「溥儀と、まさにナルシシズムの合わせ鏡」(入江曜子『溥儀』)のような奇妙な存在感も希薄だ。さらには、甘粕正彦(坂本龍一)もやはり上品すぎるのであって、日本が醸成していた侮蔑的視線も充分に感じさせるものではない。

紫禁城を追われたあと、溥儀は日本占領下の天津に蟄居し、さらには満洲国皇帝におさまることになる(出席者があまりにも少ない空虚な建国イベントの描写は面白く、ここで甘粕はドイツ製の左手で巻き上げる一眼レフカメラ・エキザクタを使っている)。このあたりの空っぽの権力構造をもう少し丁寧に追ってほしかったところではある。溥儀の弟・溥傑に嫁ぐ日本人・嵯峨浩なんて、折角妊娠した様子で登場し、狂気に走る溥儀の妻・婉容を不気味そうに見つめるというシーンが挿入されているのに、日本人の血を混ぜて版図を広げるというおぞましさは忘れられているのだ。それに、川島芳子(戸田恵子)が出ているのだと後で確認したが、まったく登場場面の記憶がない。

などと、ケチばかり書いているが、良く出来た映画だった。要は盛り込み過ぎなのである。

●参照
入江曜子『溥儀』
小林英夫『<満洲>の歴史』
満州の妖怪どもが悪夢のあと 島田俊彦『関東軍』、小林英夫『満鉄調査部』
菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』 
林真理子『RURIKO』
四方田犬彦・晏妮編『ポスト満洲映画論』


尾崎秀樹『評伝 山中峯太郎 夢いまだ成らず』

2011-12-31 09:00:00 | 中国・台湾

尾崎秀樹『評伝 山中峯太郎 夢いまだ成らず』(中公文庫、原書1983年)を読む。著者の尾崎秀樹(ほつき)は、ゾルゲ事件尾崎秀実(ほつみ)の異母弟である。

山中峯太郎は、戦前に『敵中横断三百里』や『亜細亜の曙』などで大人気を博した作家であり、本格的にジュブナイルを手掛ける前の1910年代前半には、中国の辛亥革命に続く第二革命、第三革命に身を投じている。その経験は、戦後、『実録・アジアの曙』(1962年)、『実録・アジアの曙 第三革命の真相』(1963年)にまとめられ、それが大島渚によるテレビドラマ『アジアの曙』(1964-65年)の原作となっている。しかし原作本は何しろ講談調で、どこまで本当でどこから創作なのかわからない(私は読みかけてウンザリし、放り投げてある)。本書は複数の記録と聞き書きをもとに、実際の山中峯太郎の足跡を追った評伝であり、私にとっては山中講談よりこちらのほうが嬉しい。

まずは、『アジアの曙』に登場する脇役たちが実在の人物だったことに驚く。中国近現代史の本を紐解いても、第二革命、第三革命は数行で片付けられることが多く、紹介される名前も孫文黄興を除けば、江西省の李烈鈞林虎くらいのものだ。

ドラマでは最後まで生き延びる田応詔は、やはり陸軍士官学校への留学組・中国革命同盟会(中国同盟会)の仲間であるが、ドラマとは違い、その妹・令鈴(りんりん)を山中(中山)に結婚しないかと紹介している(ドラマでは、令鈴は李烈鈞の妹であり、山中に秘かに想いを寄せるという設定)。周育賢は戸浦六宏の演技とは違い、「無口でとっつきにくい態度」。上海で活動する商売人・八田徳兵衛の実際の名前は新田徳兵衛。江西省・湖口に陣取っていた何子奇(かしき)は随分と端正で上品な顔つきであり、やはり小松方正の信用ならない風貌とはかけ離れている。同様に林虎だってあんな山男のようではなく、実際の写真はずいぶん理知的で眼光鋭い。郁英(芳村真理)は南京の財閥の娘ではなく江西省の財閥の娘であり、ドラマほど激しいキャラクターではなかった。

日本の軍人については、中国人脈よりも改変してあり、かつドラマではさほど具体的に名前が出てこない。士官学校同期の伊瀬知操は山口ではなく鹿児島の出身。山中に結婚相手を紹介したのは、士官学校支那語班の井戸川辰夫少佐ではなく、何と一年先輩の東条英機。山中の同期には敗戦時自殺した阿南惟畿陸相や、敗戦後首相となった東久邇稔彦や、今村均陸軍大将らがいた。山中が同期のなかでもひときわ優秀であったことを考えれば、この名前は別の場所にあってもまったく不思議ではない。

山中は、勿論、アジア主義者ではあってもその考えはアジア侵略者とはまったく異なっていた。中国のみならず、インド独立運動のラス・ビハリ・ボースが日本で拘束されそうになったときに助けてもいる(中村屋に逃れた時)。また、中国における日本人の「傲慢性、残暴性、侵略性」を強く非難する文章を「朝日新聞」に書いてもいるのである。しかし、日本がアジアを見る目は山中の思いとは逆の方向へと変ってきて、かつ、中国の革命派とも新聞社とも縁が切れ、戦意高揚のようなジュブナイルを発表し続けた山中は、もはやその問題にはふれなかったようだ。本書は、山中のペンネーム「未成」に現れているように、アジア革命への答えを出さぬままに終わった山中の姿を描きながら、その追跡を終えている。

●参照
四方田犬彦・晏妮編『ポスト満洲映画論』
大島渚『アジアの曙』
菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』