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自縄自縛日記

四方田犬彦・晏妮編『ポスト満洲映画論』

2011-12-28 10:25:59 | 中国・台湾

四方田犬彦・晏妮編『ポスト満洲映画論:日中映画往還』(人文書院、2010年)を読む。2009年に開催されたシンポジウムをもとにした諸氏の原稿が中心となっている。

大島渚『アジアの曙』(1964-65年)に言及した数少ない論考が含まれているため読んだのだが、それだけでなく、少なくない驚きがあった。

満映で働いた日本の映画人の一部は、満洲解体後も残り、中国や北朝鮮で映画制作の技術的なサポートを行った。
○なんと『白毛女』(1950年)(>> リンク)の編集は日本人・岸富美子氏の手によるものであり、「安芙梅」という中国名でクレジットされている。
○岸氏を含め、満映スタッフは、その後日本に帰国してからレットパージの対象となり(内田吐夢は別格)、映画界ではなかなか仕事を見つけられなかった。
チェン・カイコー『黄色い大地』(1984年)は、アンチ『白毛女』として撮られた映画である。
大島渚『儀式』(1971年)は、戦後の引き揚げメロドラマ(歴史的文脈から離れ、ただ被害者的な位置にのみ身を置く)に激しい拒否を突きつけた作品である。満洲から母ととともに帰国した主人公・満洲男(ますお)、敗戦とともに自殺した父・韓一郎、家父長制を体現する民族主義者の祖父・一臣、従兄の輝道らが、日本帝国主義の傷痕とでも言うべき戦後日本の物語を描いていく。「儀式」とは、映画の中で繰り返し行われる冠婚葬祭を示すだけでなく、満洲という戦後日本が隠蔽しようとしてきた禁忌を病的に再確認しようとする儀式でもあった。満洲男は、最初からタブーを背負って出発した戦後日本を体現するように、祖国に帰属できず、主体意識を成熟させることもできなかった。
○なお、『サザエさん』のマスオさんは、一応は鱒から取った名前と解釈されているものの、連載開始された敗戦直後には、読者はそこに満洲育ちを容易に連想した。
○それだけでなく、現在の日本には満洲国支配の傷痕がいたるところ見受けられる。たとえば、宇都宮餃子の街として名高いのは、関東軍の中に占める栃木県出身者の割合が高かったためである。
○もっとも大がかりなものは日韓関係であり、韓国独立時の中枢は旧満洲国にいた朝鮮人官吏と軍人であり、1965年の日韓基本条約を実現させた岸信介朴正煕は満洲仲間であり、韓国とは満洲国の再来として計画された新国家の側面があった。
○日本の知識人にとって、1960年代前半まで、在日朝鮮人や朝鮮半島への関心は高かったものの、文化大革命前の中国は情報もなく遠い存在であった。大島渚が映画をあまり撮ることのできない時期にあって『アジアの曙』を手掛けたのは、偶然の所産であった一方、背景には、明治維新の決算やアジア主義者についての注目などが磁場のように働いていた。(大島が「想像社」という社名をつけたのは、自分には魯迅ほどの力はないが、対抗した郭沫若の想像社くらいならいいだろうという考えによっていたという。)

●参照
『白毛女』
大島渚『アジアの曙』
小林英夫『<満洲>の歴史』
満州の妖怪どもが悪夢のあと 島田俊彦『関東軍』、小林英夫『満鉄調査部』
菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』
林真理子『RURIKO』