ちょうどまとまった時間ができたので、思い立って、大島渚によるテレビドラマ『アジアの曙』(1964-65年)、全13話をほとんどぶっ通しで再見する。2000年頃に、「チャンネルNECO」で再放送したものだ。大島が松竹を退社、創造社をつくって数年後。松竹時代には、退社の原因となった『日本の夜と霧』(1960年)などの傑作はあったものの、大島映画の成熟期はむしろこの後に来る。
監督が大島、脚本が佐々木守、 田村孟、石堂淑朗。中国の辛亥革命(1911年)に続く第二革命(1913年)を描いた作品であり、中国人はすべて日本人の俳優が演じている。とは言え、佐藤慶、戸浦六宏、小松方正、吉村真理など気合が入っていて文句など付けられない。本当に面白いドラマだ。原作は山中峯太郎であり、ドラマでは主役として中山峯太郎と単純に変えている。
中山(御木本伸介)は、陸軍幼年学校を首席で卒業、士官学校・支那語班在籍時に、清国からの留学生たちと同志の誓いを交わす。その中には、のちに孫文(加藤嘉)の側近となる李烈鈞(佐藤慶)がいた。彼らは、満州族の清国を廃し、漢民族の国を興そうという考えのもとに中国革命同盟会を結成していたのだった(なお、ドラマの途中で「漢民族の」という表現から、「中国人自身の」という表現に変えられる)。日本では幸徳秋水の大逆事件(1910年)があり、石川啄木が「閉塞した空気」と表現するような時代であった。留学生たちは、辛亥革命の知らせに居ても立ってもいられず帰国するも、袁世凱が革命派を排除しはじめると地下に潜る。
陸軍大学校に進み、妻子(妻が小山明子)を設けた中山だったが、薩長の勢力争いや中国に対する考えに我慢できず、大学校をやめ、無断で上海に渡る。李烈鈞らと再会、黄興の南京決起に合流すべく長江(当時日本では揚子江と称した)を上流、南京で上陸できず、そのまま江西省の湖口に至り、袁世凱側の要塞を攻め落とす。しかし、そこからは苦難の連続であった。江西省都の南昌を攻略し、林虎らと協力するが、住民の支持が得られず敗走する。第二革命は大失敗に終わった。
次に目指した地は、一足先に林虎が農村の拠点を作ると旅立った湖南省・長沙だったが、結局は日本軍捕らわれの身となり上海に戻る。その頃には、日本政府の方針は中国との共存共栄という理想からは遠くかけ離れていた。そして革命軍も、抗日へと舵を切っていた。既に孫文も黄興も日本に亡命し、一回り若い革命軍と分かりあえない李烈鈞も日本亡命を狙う。中山は、再び中国の大陸での活動を開始した。
いまでは奇妙に思えることだが、清国打倒を狙う面々が、頭山満というナショナリストの大物の協力により、日本において中国革命同盟会(のちに中国同盟会)を結成したという史実がある。また、その中には、孫文や黄興のみならず、ドラマには出てこないものの、紹興で処刑される秋瑾、日本の傀儡政権をつくる汪兆銘らもいたということは非常に興味深い。頭山満や北一輝や宮崎滔天(それぞれの名前が、日本軍の口から一度ずつ出る)といった面々による(偏った)アジア主義が、片や中国革命につながり、片や日本のアジア侵略につながったのである。
また、李烈鈞について調べてみると、陸軍士官学校の同期には山西軍閥の閻錫山がいたという(これもドラマには登場しない)。のちに、日本の敗戦後に残留兵を利用して人民解放軍と戦わせた人物である(『蟻の兵隊』)。
政治の季節に、三十代半ばの大島渚によって作られた熱い革命ドラマ。こんなものはもう出来ないのではないか。
●参照
○大島渚『夏の妹』
○大島渚『少年』
○大島渚『戦場のメリークリスマス』
○菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』
○池谷薫『蟻の兵隊』
○松本健一『北一輝論』