泰緬鉄道は日本軍が連合軍捕虜たちを酷使して建設した鉄道であり、その名の通り、タイからビルマまで敷かれていた(現在はタイのみにその一部を残す)。特に難関だったのがクウェー川(クワイ川)での橋の建設であったといい、この話がもとになって、ピエール・ブールの小説が生まれ(『猿の惑星』の作者でもある)、その後、デイヴィッド・リーン『戦場にかける橋』(1957年)も生まれた。
しかし、ロケはタイではなく、スリランカ(当時、セイロン)で行われている。今日初めてこの映画を観て、改めて調べてみたところ、ロケ地はヌワラエリヤからコロンボへと少し向かったあたりのハットンであるらしい。聖山スリー・パーダの麓でもある。私もヌワラエリヤの「友人の教え子の家」に泊まり、大晦日の夜中に「初日の出」を見るべく電車で麓まで移動したから、ひょっとしたらそのあたりだったかもしれない。(友人も自分もオカネをほとんど置いてきてしまったことに途中で気がついて、何とか登山と下山までこなしたものの、そのあと一文無しでどうやってヌワラエリヤまで戻ったのか覚えていない。)
湯本貴和『熱帯雨林』(岩波新書、1999年)によると、いまではタイの国土は3割に過ぎないが、戦前までは8割近くが熱帯雨林に覆われていたという(>> リンク)。ただ、この映画が撮られた1950年代半ばの状況がどうだったのかはわからない。日本軍の捕虜収容所を脱出した米軍兵が保護された病院が、当時英国領であったセイロンの海岸にあるという設定になっており、ならば同じ国で撮影してしまえ、とでもいった決断があったのかもしれない。
映画は、英国軍将校にアレック・ギネス、米軍兵にウィリアム・ホールデン、日本軍将校に早川雪洲と豪華な俳優を揃えており、おまけにデイヴィッド・リーンときては、立派すぎて面白みがまったくない。今月足を運んだこの橋のたもとには、建設で命を落とした中国人捕虜の碑があった。映画の視線は、米、英、日、そしてタイ人(スリランカ人を起用したのかもしれない)にのみ向けられている。
それにしても、やはりあのテーマ曲は「猿、ゴリラ、チンパンジー」である。
●参照
○泰緬鉄道
○スリランカの映像(1) スリランカの自爆テロ
○スリランカの映像(2) リゾートの島へ
○スリランカの映像(3) テレビ番組いくつか
○スリランカの映像(4) 木下恵介『スリランカの愛と別れ』
○スリランカの映像(5) プラサンナ・ヴィターナゲー『満月の日の死』
○スリランカの映像(6) コンラッド・ルークス『チャパクァ』
○スリランカの映像(7) 『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』、『シーギリヤのカッサパ』
○スリランカの映像(8) レスター・ジェームス・ピーリス『ジャングルの村』
○スリランカの映像(9) 『Scenes of Ceylon』 100年前のセイロン