藤井省三『魯迅 ―東アジアを生きる文学』(岩波新書、2011年)を読む。
魯迅を読む、とはどのような意味を持ち、それがどのような位置に置かれてきたのか。本書は日本のみならず、朝鮮、中国、東南アジアにおける魯迅の受容史を垣間見せてくれる。
植民地時代の朝鮮では、金史良らが自らの国に「阿Q」を見出している。その後、金石範『万徳幽霊奇譚』(>> リンク)にもつながる系譜があるのだとする。中国では、毛沢東が魯迅世界を共産党史観に押し込めた。そして教科書にも必ず入っており、現在40歳以下の人たちは「魯迅嫌い」になってしまっている。国民党をかつて支持した魯迅の、歪んだ受容史だと言えなくもない。
そして日本では、竹内好というフィルターを通して魯迅世界が形成されてきた。本書の白眉は、このことの意味を説く点にある。魯迅の原文は「屈折した長文による迷路のような思考の表現」であり、「迷い悩む魯迅の思い」が反映されているという。ところが、竹内訳では、多数の明快な短文に置き換え、表現そのものも戦後日本社会にあわせたようなものとなっている。著者は「原作者魯迅に対するリスペクトを欠いている」と手厳しい。なるほど、ならば光文社文庫の著者による新訳を読んでみたいところだ。
他にも発見があった。魯迅はドイツの版画家ケーテ・コルヴィッツらの版画集を中国で刊行していた。沖縄の佐喜眞美術館に所蔵されたコルヴィッツのコレクションが、今年、北京魯迅博物館で展示されたことが話題になったが、そのような背景があったわけだ。
著者は中国浙江省・紹興の紹興魯迅記念館を2010年12月に再訪している。私が訪れた直後であり、何だか面白くなった。これで北京、上海、紹興と3箇所の魯迅故居と記念館をまわったことになるのだが、なかでも北京のそれが好印象であった。紹興では、売店で文鎮を買った。表には魯迅故居、裏には少年時代の魯迅が通った「三味書店」がプリントされている。ガラス製で重く、こんな記事を書くために本を開くのにも最適なのだ。ずっとパソコンの近くに置いている。
●参照
○藤井省三『現代中国文化探検―四つの都市の物語―』
○魯迅の家(1) 北京魯迅博物館
○魯迅の家(2) 虎の尾
○魯迅の家(3) 上海の晩年の家、魯迅紀念館、内山書店跡
○魯迅グッズ
○丸山昇『魯迅』
○魯迅『朝花夕拾』
○井上ひさし『シャンハイムーン』 魯迅と内山書店
○太田尚樹『伝説の日中文化サロン 上海・内山書店』
○『けーし風』読者の集い(13) 東アジアをむすぶ・つなぐ(沖縄における魯迅の抵抗的視点)
○金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』 済州島のフォークロア