Sightsong

自縄自縛日記

2005年、紫禁城

2012-03-10 12:12:00 | 中国・台湾

北京紫禁城(故宮)。2005年にはじめて入ったとき、改修中であまり中を観ることができなかった。その後追い出されることになるスターバックスもまだあった。それ以来北京には何度も足を運んだが、紫禁城は周りから眺めるばかり。

もう1年以上中国に行っていない。北京はいまもひたすら寒いんだろうね。

※写真はすべてPentax Espio Mini、シンビ200、DP。

●参照
入江曜子『溥儀』
ベルナルド・ベルトルッチ『ラストエンペラー』
ジャッキー・チェン+チャン・リー『1911』、丁蔭楠『孫文』
北京の今日美術館、インスタレーション
北京の散歩(1)
北京の散歩(2)
北京の散歩(3) 春雨胡同から外交部街へ
北京の散歩(4) 大菊胡同から石雀胡同へ
北京の散歩(5) 王府井
北京の散歩(6) 天安門広場
北京の冬、エスピオミニ
牛街の散歩
盧溝橋


石牟礼道子+伊藤比呂美『死を想う』

2012-03-10 01:42:46 | 九州

石牟礼道子伊藤比呂美との対談『死を想う われらも終には仏なり』(平凡社新書、2007年)を読む。

石牟礼道子という、戦争体験、自殺未遂体験、そして水俣病との接触を経て、おそらくは目的でも手段でもなく、ただ書かざるを得なかった作家。その内奥では、死への距離は不思議なくらい近いものだったように感じられる。この対談では、その心持ち、精神が、淡々と披露される。

石牟礼道子の眼にうつる現代日本は「死相を浮かべた国」。その裏返しのあらまほしき世界とは、あらゆる小さい生命が「縁」によって繋ぎあわされ、それら小さき者たちの声が「ミシミシミシミシ遍満している気配」がするようなものか。本人は、宮沢賢治が想像した「宇宙の微塵」ならぬ「浜辺の微塵」を口にする。勿論、浜辺は生死の境でもあり、彼岸への出入り口でもあった、と関係付けても、さほど見当はずれではないはずだ。

対談するふたりが好きだという、『梁塵秘抄』に入っている歌。

「儚き此の世を過すとて、海山稼ぐとせし程に、万の仏に疎まれて、後生我が身を如何にせん」

よろずの仏に疎まれる!何というイメージだろう。

●参照
石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』
『花を奉る 石牟礼道子の世界』
島尾ミホ・石牟礼道子『ヤポネシアの海辺から』
島尾敏雄対談集『ヤポネシア考』 憧憬と妄想(石牟礼道子との対談)