Sightsong

自縄自縛日記

ポール・オースター『ブルックリン・フォリーズ』

2012-06-04 23:28:40 | 北米

ポール・オースター『ブルックリン・フォリーズ』(新潮社、原著2005年)を読む。

「フォリー」とは愚行、従って、『ブルックリンの愚行の書』といった意味のタイトルだ。

主人公のネイサンは癌の闘病をした挙句に離婚。娘のレイチェルは、父を憎む。若くして急死した妹の息子トムは、知性に満ち溢れ才気煥発、文学の研究者になるつもりだったが、失敗して古本屋で働く。古本屋の主人ハリーは、数奇な人生を送り、裏切られて難死する。トムの妹ローリーは、精神のコントロールを失い、父親のわからない娘ルーシーを連れて失踪、狂信的な新興宗教の信者に監禁される。ルーシーが居場所のわからないローリーの手によりトムの許に送り届けられ、母探しの旅に出たネイサンとトムは、そこでの出会いにより、違った方向に進み始める。

さまざまな人物が登場する群像劇であり、月並みな言い方ながら、そのひとりひとりの人生には歓びと、隠しようのない影とがある。タイトル通り、みんな愚行を繰り返している。それは、わたしを含めた読者にとって、「わたし」に他ならないだろう。

しかも、彼らは、決定的に無名でありながら、決定的に個人である。ここがオースターのメッセージであることは、物語を最後まで読むとわかる。

『ブルー・イン・ザ・フェイス』ほど分裂してはいないが、ブルックリンという、おそらくオースターにとって信を置くことができるコミュニティにおける雑駁なストーリーであり、それらの無数のフラグメンツが天の法則によって相互に引かれあっているような世界だ。その意味では、大きな運命や偶然による人生の軌道破壊を描くいつものオースター作品よりも、肩の力が抜けている。

家族だとか友達だとかいったつながりを所与のものとして描いているのではない。改めて、その創成のプロセスを、悶え苦しむ人たちの姿によって描いている。

都市住民のための、実社会とかけ離れていて、かつ実社会と密着しているような、おとぎ話である。少しだが元気が出た。

●ポール・オースターの主要な小説(リンク)
『Sunset Park』(2010年)
『Invisible』(2009年)
○『Man in the Dark』(2008年)(未読)
『Travels in the Scriptorium』(2007年)
○『ブルックリン・フォリーズ』(2005年)(本書)
『オラクル・ナイト』(2003年)
『幻影の書』(2002年)
『ティンブクトゥ』(1999年)
○『ルル・オン・ザ・ブリッジ』(1998年)
○『スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス』(1995年)
○『ミスター・ヴァーティゴ』(1994年)
○『リヴァイアサン』(1992年)
○『偶然の音楽』(1990年)
○『ムーン・パレス』(1989年)
『最後の物たちの国で』(1987年)
○『鍵のかかった部屋』(1986年)
○『幽霊たち』(1986年)
『ガラスの街』(1985年)
○『孤独の発明』(1982年)


大林宣彦『SADA』

2012-06-04 07:38:18 | アート・映画

大林宣彦『SADA~戯作・阿部定の生涯』(1998年)を観る。

阿部定事件の映画化だが、テーマに多くの人がきっと求めるであろうものと、大林宣彦の遊び心との相性が最悪。これはひどい。

主演の黒木瞳は悪くないものの、大島渚『愛のコリーダ』(1976年)における松田英子に比べれば、妖しさも艶っぽさも狂気もまるで及ばない。従って、この人に殺される者に共感できるわけもなく、しかもそれは片岡鶴太郎、意味不明である。どうやら葉月里緒菜(いまは葉月里緒奈と改名)が降板したために黒木瞳が選ばれたということで、もし葉月お定が実現していたらもう少しよかったのかな。

ところで、お定の初恋の人がハンセン病のために姿を消し、瀬戸内の島に隔離されるという設定だが、この扱いもいかにも軽い。

●参照
『時をかける少女』 → 原田知世 → 『姑獲鳥の夏』